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November 30, 2017

時は偉大な癒し手

何かご指名があったようなので、JWの組織がゆっくり衰退するか、すぐに奇跡でも起きて滅亡?するかってことですかね。うーん、自分から言うとどっちでもよくて。あんま関心ない。

まあ、それは時間の問題なのでは?彼らではなく、こちら側のね。やめて数年の人なら、そのことにすごく関心がある人もいるだろうけど、そういう人は時間が経つにつれ、一人減り、二人減り、そして二十年も経てば、ほとんどの人がどうだってよくなるもんなんです。

今、一生懸命アメブロで書いている人も、二十年後に同じことしてないでしょ?だって二十の人は四十だよ。四十の人は定年だよ。やれるわけがない。もちろん今は一生懸命やればいいし、それで気が晴れるのであれば、あるいはそれを読んで共感する人がいれば。

でも、そういった時期を二十年以上前に過ぎた側から言えば、そういう時期もあるよね、と思う程度なんです。すでに関係ないし、興味もない。あれは井の中の蛙ですから、井戸の外にいる限り全く無関係。沢山ある虚妄を掲げる不思議団体の一つに過ぎない。大海に二十年もいる者は、そんなちっちゃな井戸に、二十年も固執できないんですよね。だから今、奇跡が起きてJWが滅ぶとか、JWの悪辣さをこれでもかと一生懸命書かざるを得ないと感じている方も、二十年後には、だいぶ落ち着かれるのではないですかね。その頃まではやらないと思いますし、それと同じで自分もやる気なし。

見方を変えれば、二十年という時は、偉大な癒し手で、今まであった「わだかまり」を溶かしてくれると思いますよ。でも、その「わだかまり」があるうちは、どうしようもない。自分などは、やめた時に「わだかまり」の大多数を溶かしてきてしまった、もちろんその代償はとても大きかったのですが。

目を向けるべきは、井戸ではなく大海(この中には傷ついた元JWも含まれる)だろうという考えには、やめた直後から変わりはなくて。それが、「わだかまり」があるうちは難しいのは重々承知してるんですが、だからこそ、その「わだかまり」を少しでも早く溶かすことのできる材料を提供する。そのための組織や信者さんの論評やアプローチで、組織が滅ぶとか、衰退するとか、繁栄するとか、井の中の蛙一人一人の動静とか、そんな瑣末なこと、コップの嵐そのものには興味ないですね。

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November 26, 2017

座間市の事件

ちょっとカミさんと話してたんだけど、我々のやってることって、最近あった連続殺人事件の被疑者がやったこととある意味変わらないなって。

被疑者に連絡を取った方の話を聞くと、被疑者だけが話をよく聞いてくれた、他のところでは話せなかった。このような反応は我々もよく言われることです。だからこの件で言えば自殺の言葉狩りをするだけでは意味がない。

もちろん、この被疑者は性的暴行とか殺人とかが目的で、我々の目的と180度違う、つまり悩みの解消や軽減などが目的ではないのですが、話を聞いてもらいたい人からすると、それは大して差がないのかもしれない。すごく残念なんですが。

自分の例で恐縮ですが、自分がJWを辞めた時、なぜ心理的なダメージが少なかったというとしゃべる仲間がいつもそばにいたから。いなかったことがなかった。これって大きいのかもしれない。辞め方もキレイというか劇的でしたし、誇りを持って辞められたし、そういった自尊心もしっかり維持して、仲間もいてってそれはそれでレアなことで。他の方よりJW組織を冷めて突き放して見られるのもこういった背景があるのかもしれない。

片や多くの辞めた方々は孤立してしまう、罪責感もあり、恐怖もあり、誰も聞いてもらえない状況、これを解消することは必要でしょう。幸いというかSNSはある程度、その役割を果たしているし、アメブロとかでも活況ですよね。皆さん個々にそれぞれでやっていること、それは大きな意味があると思う。

でも、こういった事件もあるから、悩みを言いたい方の安全と安心の確保はすごく大切かもしれない。できれば相談を受ける側はある程度、信頼性を示せるような何かを持ち、個人情報を晒して、匿名ではない状態で、問題が起きた時にきちんと対処できるネットワーク的な対応が必要だけど、まあこれが現実には、人的にも、物理的にも、能力的にも、またニーズ相応なのかなど、なかなか難しいってのが本当のところですかね。

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November 25, 2017

カキモノ、カキモノ、ランランラン・・・ふ。

さて、JWの話は置いといて、もそっと建設的にというか、本業ですね。いえいえJWはあくまで左手でやることって昔から言ってます。そういうのは、余力でちょこちょこっとやるようなことで。家族と仕事が第一、次は趣味で、JW問題は・・・下から数える方がって、これは昔から変わってません。実際、それくらいしか(本質的な中身の)ボリュームもないと思いますね。

前回の手紙とかは、要請があったとは言え、まあレアなことです。要請がなければ、こんな七面倒なことはしませんね。JWのことでも組織云々はどうでもよくて、あくまで辞めた人のケアのため、そのためのものということ以上の意味はないっす。

で、本業のというか、執筆活動ですが、まあ別件が佳境、三冊ですかね、これはデザイナーさんとまた打ち合わせしなきゃ、さらに九州にも打ち合わせに行かなきゃで、大変ですが(何が本業かわからなくなってます)。タイムリミットがあるので、本日もセコセコと出社してやっとります。

さらに、ここでも議論した個人的なものの執筆も開始、「責任論」目次案と出だしがなんとなくですね。資料は現在は自己責任に絞って絶賛渉猟中。アリストテレスの部分も海外資料ですがちらっと眺めてます。

ただ責任に関する解説は、国内資料も英語圏のものも、本当に人によってえらく違くて、同じことを議論してるのかなってくらい百家争鳴、むちゃくちゃカオスで、これで責任についてまともな議論なんてできるのって根本疑問がますます強くなってますね。一旦、誰かこれまとめようよって、まあそれをするのが自分なんでしょうが。

目次案を見ると、JWに関連するのは第6章の6節あたり、組織へのアプローチ(なんか私の方が言われちゃいましたが)では第8章8節あたりですかね。だけど、多分JWを例には書かないと思います。もしも、カルトの二世問題を例として書くとすれば、松本智津夫受刑者の4女の松本聡香さんですね。多分こちらの方が一般の読者にはピンとくるのでは?

そういった方々の心理的な負担を軽くするための論理的な枠組みを構築したい、そのためにやってますので、できればお話をお伺いしたいけど、ちょっとできるかどうか。そもそも書くかどうかもあるのですが(カルト問題が、責任の代表的な事例として適切かどうかってのもありますし)。悩ましいところでもあります。

とゆーことで、目次案と出だしをば。

<目次案>
書籍タイトル
「責任論
― 現代社会に求められる理性ある議論 ―」

はじめに

第1章 責任と現代社会
(1)肥大化する「責任」と現代社会
(2)「大いなる責任」のポジティブな側面

第2章 「責任」をめぐる議論
(1)自己責任論争
(2)終わりなき戦争責任への怒り
(3)フェイクニュース

第3章 「責任」この捉えがたきもの
(1)多くの人が知っている言葉
(2)説明の難しい「責任」
(3)なぜ定義づけが必要か

第4章 歴史の中の「責任」という言葉と概念
(1)日本語における「責任」の変遷
(2)ヨーロッパ語圏における責任
(3)概念自体の発生
(4)変化し、発展し続ける概念

第5章 「責任」の構造
(1)動詞から見る責任
(2)多義的な責任
(3)時系列から見る責任の構造
(4)予測と結果
(5)責任の中核となる予測可能性と選択可能性
(6)責任の発生と潜在期と顕在期
(7)結果への対応と対応能力

第6章 個人と集団
(1)個人の持つ責任と集団が持つべき責任との違い
(2)個人の責任の範囲と限界
(3)個人の責任と自己責任
(4)集団の責任の難しさ
(5)戦争責任の場合
(6)社会集団の責任
(7)社会的責任

第7章 責任の減免
(1)責任の限界
(2)責任の限界を支援する社会的な仕組み
(3)ゼロイチでない責任への対応
(4)責任の減免の条件

第8章 責任を忌避する場合
(1)責任忌避の類型
(2)無自覚
(3)無責任
(4)無理解
(5)能力の問題
(6)開き直り
(7)結果の大きさと複雑さ
(8)責任忌避への対応と限界

第9章 責任を活用する
(1)消極的な責任と積極的な責任
(2)責任を忌避しようとする心性
(3)消極的な「責任」の問題点
(4)他者への指摘か自覚か
(5)自己の責任感の確立の必要性
(6)「責任」を活用する

第10章 理を尽くす「責任」とは
(1)「責任」は理不尽か
(2)「責任」そのものの議論は不十分
(3)求められる「責任の議論」の深化

おわりに
(1)大いなる責任はだれのためのものか
(2)自由と責任と寛容さ

<出だし>

第1章 責任と現代社会

(1)肥大化する「責任」と現代社会

「大いなる力には大いなる責任が伴う」
 これは、映画「スパイダーマン」で、主人公の叔父が主人公に向けて語ったセリフです。でも、この言葉はまるで、現代の私たちに向けられたかのようにも聞こえます。

 現代社会において、私たちの「力」も「責任」も否応なく大きくなっています。例えば、インターネット。世界中の情報もスマートフォンをネットにつなげば簡単に得られます。あるいは逆に情報を発信したりすることもすぐにできます。でも使い方を間違えれば、大変なことが起きます。

 バイト先で行なった不謹慎な行為を、スマートフォンで撮影し友人にツイッターで自慢したものが、世界中から閲覧され、大きな問題に発展、その職場の営業ができなくなる、ある場合、お店や飲食店が閉店を余儀なくされることも起きています。

さらに、その不謹慎な行為を行った人が炎上という状態になり、当人の個人情報まで晒され、過大とも言える社会的罰、ネットリンチを受けることだってあります。それを、まだ社会的判断能力が未熟な学生に、その責任を厳しく問われることすらあるのです。

 確かに昔なら、同じことをしても(もちろん許されることではないですが)そこまで大ごとになることは稀でした。しかし、情報技術によって格段に大きくなった「力」が、収拾のつかない「責任」問題にまで発展してしまうのです。

 また、社会全体の認識の変化によって、より広範囲な責任への対応が必要になっています。

 例えば、テレビで性的少数者を揶揄すると捉えかねないキャラクターを、過去の放送では問題なかったので、復活させたところ、視聴者からクレームが寄せられ、テレビ局が謝罪するという事態が起きました。

これも、我々の得ている性的少数者への知識、彼ら・彼女らの感じる悩みや痛みなど、より共感を持って理解できるほどに進歩したという意味では、力が増した結果と言えるのかもしれません。その増した理解「力」ゆえに配慮する「責任」があるというわけです。

(2)「大いなる責任」のポジティブな側面

 このような「責任」の役割の変化が起きると必ず生じる反応は、「世知辛(せちがら)く息苦しい社会になった」という怨嗟(えんさ)の声です。特に責任に対する認識が緩かった時代の世代が過去をやや美化して、そのように語る傾向があります。昔はそこまでやらなくても阿吽(あうん)でお互いに理解できていた、何でもかんでも責任を追及する現在の社会の姿勢に疑問を感じる。果たしてそうなのでしょうか。

 そのような見方は、「責任」の持つ役割の片側だけを過大に見ているのかもしれません。そこで語られる責任は、何か重箱の隅をつつくあらさがしの道具のようです。しかし、それは少なくとも責任をどのように見るかという意味では、バランスを欠いているように思えます。責任は、それ自体プラスの側面を持っており、またそれを積極的に負おうとする個人や組織・集団では、極めて有益な働きをします。それは、前述のスパイダーマンである主人公が、その責任を自覚し、今までの力を利己的に利用する姿勢を改め、自分なりに責任ある行動をしようとしたことと同じでしょう。

 例えば、近年の震災や台風などの大規模な災害時の個々や組織が行なった被災者への積極的な対応、それはその対応を行う人たちが、その行動を「人ごと」ではない「自分の責任」と自覚して行われたものでしょう。その際にインターネットは非常に役立ちました。「大いなる力」を有効に使えば、責任のポジティブな面を引き出す可能性を示したのです。

 他の例で言えば、かつて建築現場では「怪我と弁当は自分持ち」などと呼ばれ、企業側の労働者の安全に対し意識は希薄でした。つまり、安全の責任はどちらかというと各自の責任と見られていたのです。そのため重篤な障害の発生する事故や死亡事故などは現在よりも多い状態でした。

しかし、現在そのような見方を、経営者や安全管理者がすることは許されていません。法的にも経営環境的にも安全への責任が問われるように変化したのです。その結果、建設現場での労働災害が50年ほどで劇的に減少しました。これは、安全への社会的責任が増したことによって、これまで失われる可能性のあった人命が失われずに済んだという風にも捉え直すことができます。

 このような傾向は、例えば食品安全の分野、公害、情報、製品の安全性能などで顕著になってきています。それらの責任を自覚していない企業は倒産してしまうことすらあります。安全に対する認識、また関連する法規や技術の進歩と発展、このような「大いなる力」によって責任の役割が増しているのです。

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November 23, 2017

日本支部調整者への手紙

とりあえず無反応なので一応・・・

「20170224.pdf」をダウンロード

「20170315.pdf」をダウンロード

「20170402.pdf」をダウンロード

「20170429.pdf」をダウンロード

火に油を注ぎそうなんで特にコメントしませんが、まあ、一応送りましたという報告(備忘録)的にアップしておきます。

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November 13, 2017

東海地方で・・・

オフ会の予定は近くありますか?お問い合わせがありましたので、教えていただければうれしいです。

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November 05, 2017

13日14日は沖縄にいます

ちょっと仕事で沖縄に行く予定です。平日なので難しいかもしれませんが夕方空いていますので、在住の方でご希望があればミニミニオフ会などできるやもしれません。

まずはご連絡いただければ、考えましょう。

ちなみに14日は憂歌団のボーカリスト木村充揮さんが桜坂劇場でライブやるんで行きたかったけど、前売り券がソールドアウト。当日券あるか電話で聞いても、その時の入りで判断とかで、どうなるかわからんということで、まあその辺うろうろしてると思います。

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