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February 28, 2018

オフ会について

元JWオフ会の最初の人間として、ちょっとコメント。

1996年かな、一番最初のオフ会は。恵比寿で開催しました。十人くらいだったかな、当初は、もっとネットワークというか組織的なものを模索していて、オフ会など、その中の選択肢の一つでしかなかったわけで。

数年後に、昼寝するブタの管理人、まあこれは私の掲示板から変な形で派生したんだけど、ゆーじさんが確か品川あたりのオフ会に参加されて。

何度も参加されるうちに、また、やってほしいとリクエストを激しくされたんで、めんどくさがりの自分は「だったら自分で幹事やればいいじゃん」みたいなね。そして盛大に、彼が始めたオフ会、それが夏の昼ブタオフ会の始まり。

ゆーじさんが亡くなった後も、別の方が引き継いで結構大きくなってます。私から見ると大きくなった孫を見るような。

で、トラブルも当然起きます。あれだけいるとね。主催者も知ってると思うし、できるだけのことはしてると思いますよ。

でも、全部は対応できないというか、良識に任せるところはあるのかな。私も協力を求められれば、まあ始まりには無関係ではないし、協力してます。

まあ、オフ会も所詮手段です。それに参加が強制されてるわけでもない、参加されない人の方が延べ人数で数えると多いはず。

でも、今でも多くの人が参加されるのは、それなりの良さがあるからで。勉強会とかセミナーとかよりニーズがあるから、ここまで広がったと思いますよ。

ただ万能でもないし、それにあくまで好意で行なっているってことも知ってほしいですね。幹事はけっこう大変です(だから自分は適当になるんだけど、いつもご迷惑おかけします)。

お金はこれも考え方で、高ければ行かなければ良いし、別に非営利でやる義務があるわけでもないし。

ちなみに自分のところはお安くはしてます。これも学生さんとか無職の方とか来られるから。よほどの場合はカンパで建て替えることもしたことはあります。ただ、そこまですべきかは考え方次第。

100人規模での準備だと、そのスタッフの経費とか事前打ち合わせの交通費とかだけでけっこうかかるのかもしれない。ここら辺は詳しく知らないからあれですけど、少なくとも割り勘の飲み会とは違うと思いますよ。あくまでボランティアですからね。それと同列にするのもどうかな。

オフ会でトラブったら主催者に即相談(自分たちだけで解決しようとしてぐちゃぐちゃになってから来られることもありましたが)。難しければ私でもいいですし、長年トラブル対応されてきた事情通の方に、まずは一言ご相談されるといいと思いますよ。何も知らない方がしゃしゃり出て、わかりもしないことを憶測だけで、またぐちゃぐちゃにされるのもあれですしね。

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February 27, 2018

お見舞い

弟が急遽入院ということで、会社の近くなんで、お見舞いに。

まあ、思ったより元気そうで一安心でしたが、なにせ家族で唯一口をきけるのは彼くらいなんで。

他の家族は難しいしね。

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情報リテラシーを上げるために

情報リテラシーの最後に。

私の母になぜJWを正しいと信じたかを聞くとこんな答えが返ってきました。

「だって他に何が正しいの?初めて知った真理を、これが正しいって確信できたんだから」

この言葉は、情報リテラシーで見るとすごく示唆的です。つまり情報リテラシーを上げようとするなら、これの逆をする。

まず初めてってのをなくす。つまり2回目だろうが3回目だろうが正しい情報は正しい。また初めて接触した情報が真実とは限らない。つまり、最初の情報の評価で真理と決めつけそこから頑固に変えないとはせず、白紙状態を常に保ち、いつでも変えられるように柔軟にしておく。つまり自分の考え、情報の正しさへの確信も、すぐに変える心の備えをすべきです。

実を言うと、この繰り返しによって圧倒的な情報リテラシーを獲得するきっかけにもなれる。昔はUFO陰謀論を信じていた人が、それを精査して論理破綻していることを知って、その過程でUFO陰謀論の持つ矛盾点を指摘できるまでになったなんて例もあります。その人は人がなぜ陰謀論にハマるのか示唆的な文章まで書いていますね。

私もそうですね、JWについて、あるいはマインドコントロールについて、入手可能なあらゆる情報を精査して、現在の結論にたどり着くと、そのため心理学の学位まで取ると、そこまでやるのはやりすぎですが。

もう一つは、情報にはコストがかかるのです。このことはタダほど怖いものはないことを意味する。向こうから近づいてくる情報、専門知識を家にいながら無料でマンツーマンで教えることも含め、そういった情報は紐付きだということ。JWの情報もそうだったでしょう?インターネットのお手軽情報もそうです。

もし、本当に情報を得たいなら必ずコスト、必ずしも金銭ではない時間や労力など含め、それらを払うことが重要。これは忘れがちな視点です。

向こうのコスト持ちの情報は、広告宣伝込みか、真偽不明のゴミか、あなたを利用しようとするものかのいずれかである可能性が高い。よくよく注意すべき。むしろ、こちらから積極的に情報に接触する努力が求められるのです。

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February 26, 2018

元JWのための情報クロス手法と警戒すべき諸々

情報リテラシー続き。

これって思う情報はとりあえずクロスさせることは重要ですね。

前にも言いましたけど、教科書的なもの、ウィキペディア、そしてマスメディアなどとクロスさせる。

クロスさせる比較対象は一つだけではダメです。基本は二つ以上。そうでないと対立的などっちが正しい的に見ることになる。よく調べると双方とも別々の問題を抱えていたりってこともあります。

インターネットの検索を使ってもいいけれど、その執筆者が誰かは気を使うべき。公的なものはチェックが入る確率が高いので、信頼度は高いけど、個人のものはその人の資質や能力や思い込みや信念に左右されるので、よくよくプロフィールなど調べるべき。

元JWだから信頼できるわけでもありません。元JWでも間違った情報は非常に多いです。その人が批判に対して耳を塞ぐタイプなら警戒すべき。間違った情報を訂正しない確率が高まるからです。たくさん情報発信する人で、訂正しない人の情報は、玉石混交だと思った方がいいですね。すぐにリブログなどしない。必ず裏どり(その情報が正しいか情報源と第三者情報に当たる)する。裏どりが難しい場合は、その可能性もある程度で留めておくべき。

また、あなたのことを理解している、わかっている、「あなたはこうこうこう言う人ですね?」と初対面で知らないはずなのに当たっている人。これは完全に危ないです。

いわゆるコールドリーディング(誰でも当てはまることを相手の内面全てを見透かしている風に見せる高等テクニック)という手法で、そう言った瞬間から疑うこと。

ただJWをやめた直後は、自分のことをとにかく聞いて欲しいので、そういう人に全部言ってしまうんです。そしてよく聞いてくれる。そして、その時点では的確なアドバイスをしてくれるように思える。しかし自分の情報も全てつかまれる。それってJW入信時の状態と同じカモネギ状態なんです。

JWだけが洗脳みたいなこと(私は「洗脳」という言葉は使いませんが)をするのじゃありません。もしかすると元JWだって似たことを情報では、するかもしれない。自分の「思い込み」を信じさせようとするかもしれない。それくらい、情報に対して無防備なうちは慎重さが必要。

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February 25, 2018

今日はハッピーデイ!

相も変わらず「責任」に関する著作の文献調査をしています。延べでどれくらいでしょうかね?数百冊はいっていますね。図書館も国会図書館を含め6カ所以上、休日仕事帰り、遊休取ってとフル回転です。

図書館の特徴もよくわかります。地元のは、すごく誠実にやってるのがすごくわかるし、隣の某ベテルのある市の図書館はCCCに委託したチャラチャラした図書館。おしゃれですが、まあ使いにくい、使いにくい。彼らが自分で言っているように素人であるのがよくわかります。文献調査では、きちんとした類別ができていないので探せない(例えば戦争責任の書籍が歴史の棚にあったりノンフィクションにあったり、どこにあるかまったくわからない)。本当に使えない。しかも書店も併設され、それとの区別もはっきさせていない。本当に商売のことだけ考えてる感じで、二度と行きません。単なる本付きの喫茶店、それだけ。図書館に行ったことがない人とか、デートで知性アピールするカップルが行くのはいいのかもしれないけど。

今日は、いつもの地元の図書館で文献調査してたら大ビンゴ!

現在、responsibilityの語源を調査してるんですが。このresponsibilityが原義では「応答可能性」を指すんですね。これがrespondeoとかresponsusとかいうラテン語が元になってて、同じルーツからresponse(応答)という単語も出ている。で、責任が「応答可能性」って変じゃありませんか?哲学の説明だと、「あなたはなぜそうしたか」の答えを求めるのが責任とか、「呼びかけに答える」のが責任とか変な説明が多い。

で、今日はラテン語辞書で意味を探ると、すごく興味深い事実に突き当たったんです。responsibilityの先祖の一つともいえるラテン語のrespondeoの意味には、返答や応答以外に、法的な相談に答えることとか、公式の回答、債務の返済や賠償など、「責任」に近い概念も含まれていたんですね。わざわざ「応答可能性」と考えなくても、そもそも語源的に責任的な意味が含まれていたと考える方が自然。

そこで、さっそくラテン語系の学会さんに質問してみました。この見方が正しいとすると、今までそういった指摘をしている責任を解説する文献ってまずないですから、それだけでもちょっとした発見で。いや大金星かもしれない。

こうやって、文献調査を突き詰めるといろいろな発見ができて超楽しい。こんなことで幸せな気分になれるって、まあ、本当に自分の幸福中枢は単純にできているというか、お安くちゃちにできてるんだなあと感心するやら呆れるやらですが。JWのダメージを最小化できたのも、こんなお気楽な性格が関係してるのかもしれませんね。

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神様お願い!

もう最近縁遠くて、恥を偲ぶようで恐縮ですが、教えて欲しいのが、最近のJWって「神様」って言うんですかね?って事で。

出版物をつらつら見ていて、なんか妙な違和感があって、他の宗教みたいだなって感じた違和感の正体がこれで、昔の出版物や会話、壇上からの話に「様」をつけてない記憶があります。神ってだけで一般の「神様」って言い方をバカにしていた節もあったような。純粋に日本語の問題ですがね(あるいは相当する英語があるのかな?)。

賛美の歌がコンピュータミュージックのポップ化とか、講演がなぜか批判していたビリー・グラハム氏(先週なくなってトランプ大統領も哀悼を述べてましたが)のテレビ説教の劣化版みたいだし。神様お願いします!と祈るのですかね?

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February 23, 2018

JWと類型の大袈裟で断定的な情報への親和性

さて、私も本業では情報の扱い方を部下に指導する立場ですが、やはり情報リテラシーが低い者と高い者、大きな差があります。

その一つは情報の処理のスピードと量ですね。情報リテラシーの高い者は単純に大量の情報を吸収する能力が高い。また、それらを短時間に分析・判断がかなりの確度でできる。

逆に低い者は、そもそも情報を取り入れることを最低限にする。あるいはしない。その範囲内や今までの考えの中だけで判断して、あるいは判断もしないで情報を鵜呑みに、右から左へと流すので精一杯。実を言うと、今こう言った人がプロの世界でも増えて困っていますが。

もちろん、これらはプロの世界の話ですので、そうすべきというレベルの話ではないですが、確度の高い情報の扱いのヒントにはなると思います。

私などもそうですが、大量の情報の処理を短時間で行います。例えば、ある著者に執筆を依頼する場合、できる限りその著者の作品や論文を入手して、全部に目を通したり、あるいは記事を書く際も、それに関する国内流通の信頼できる情報のほとんどに当たります。もちろん仕事だからですけれど、情報が氾濫し、何が正しいかわからなくなったという現状の中、これは一般でも使えるテクニックが散りばめられています。

その中でも、怪しい情報の排除は、特にJWをやめた直後にはかなり役立つでしょう、その簡単な概要を。

①大袈裟と断定は眉唾
JAROのCMでもありますね、嘘、大袈裟、紛らわしい広告は連絡を。情報の判断でも同じです。例えば、JWの使う形容詞や大袈裟表現ををものみの塔2018年No.2の「未来​が​気​に​なり​ますか?」から抽出してみます。

「素晴らしい」「細かい点に至るまで」「寸分​の​狂い​も​なく​的中」「他にもたくさん」「すべて​果たさ​れる」「これ​と​いっ​た​理由​も​なく」「それ​以上​の​価値」「正確​さ​と​信頼​性​を​確証」「世界​中​で」「輝かしい」「どんな​に​良い​世界​に​なる​こと​でしょ​う! 」「だれ​も​が​完璧」「愛情​深い」「必ず​実現​する」「実​に​素晴らしい​見込み」「こんな​に​も​素晴らしい​」「​無限​の​可能性」「そんな​はず​は​あり​ませ​ん」「目的​も​明らか」「壮大​な​プロジェクト​を​任さ​れ​た​の​です!」「決して」「完全​な​愛​と​公正」「愛情​深い」「失わ​れ​た​もの​すべて​」「間​も​なく」「その​素晴らしい​未来​」「過酷​で​不​公正​な​社会」「愛情​深い​」「完璧​に​行なっ​て​」「当然​で​は」「正義​が​曲げ​られ,悪い​人​が​罪​も​ない​善良​な​人​を​苦しめ​て​い​て​も,だれ​も​驚か​ない​世​の​中」「明るい​未来​」

こんな短い記事の中で、ここまでとはさすが。しかも自分たちの考えに沿うと大袈裟に褒め、逆だと大袈裟に下げる、あまりに露骨。自分たちが何度も予言を外したことがなかったかのようですね。そして、相手の意見は創作で極端に設定し疑問符、自分たちの意見は聖書開けば、いきなり肯定、断定表現。まあ特徴的です。情報リテラシーの視点で見るとまったく使い物にならない種類なのですが、得られる教訓も多いです。

宗教文書でも、特に新興宗教のものはこのような大袈裟表現と一方的な断定表現を多用する傾向があります。宗教哲学の文書などはここまでひどくはないですね。

とJWがそうだとわかっても、では他の情報にはその視点で見れるかというとそうは簡単ではありません。長年、JW系の大袈裟表現と断定的口調での情報の接し方に慣れていたため、同じような大袈裟で断定的な情報に簡単に引っかかるケースはあまりに多いです。JWは洗脳していると評価しても、JWに対する情報の扱い方の本質的な改善がなされてなければ別の怪しげなもののカモになる可能性は十分あり得ます。

もちろん、大袈裟で断定的だから間違っているというわけではありませんが、そのような情報は注意深く扱うか、具体化する(例えば「たくさん」という表現なら数値化する、「たくさん事例がある」という文章の裏どりをしたらわずか一例しかなかったこともある)。

あるいは、より情報として信頼性の高い情報を取り入れる努力の方が、それらを識別する努力よりも前に行うべきかもしれません。信頼性の高さでいうと、事実を淡々と書いた面白くない断定もしない文章が増えます。それを読み込める力が弱っているのですから、少しずつ取り入れていくことは、情報リテラシーを向上させるのに非常に大切なことです。

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February 22, 2018

すべての新聞は 「偏って 」いる

スキーに行った家族全員で胃腸炎になり2日間苦しむ羽目に。

たぶんですね、カレー屋さんですね、やられたのは。自分も娘も38度の熱になりましたが、熱が下がったら仕事オケとお医者さんに言われたんで、熱が下がったアンド空腹でフラフラ状態で仕事に。しかもデスクは仕事の山になっている。

フラフラ状態で仕事をしながら夜中まで溜まった作業が片付かない。まあ、こんな感じです。

で、情報リテラシーの続き。なかなか終わりませんね。今回はマスメディアのお話。どうしてもマスゴミとか偏向メディアとか書かれること多いのですが、マスメディアはマスメディアで意味があるし、きちんとその役割と限界を知ることが重要ですね。

『すべての新聞は 「偏って 」いる ホンネと数字のメディア論』荻上チキ

扶桑社の本ですが、まあ扶桑社ってのが面白いですね(扶桑社は産経新聞と同じ系列)。「日本会議の研究」でも、驚きましたけど。これを見ると、日本の主な新聞にはどのような傾向があるのか、ざっくりと知ることができます。

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February 19, 2018

けっこう使えるウィキペディア

もう一つ、こらもあまり評価高くないけど、まあまあ使えるのが、ウィキペディア。

よく有名人が、自分の項目が全然違うと言うことありますけど、まあ完璧ではないです。

でも、複数人のチェックや出典の提示、間違いが見つかるもしくは指摘されると修正されることなどは情報リテラシーからいうとポイントが高い。さらに広告がないので、クライアントの圧力もあまり気にしなくて良い。

私も問い合わせをしたことがありますが、ボランティアと言いながら、対応は素早いし、非常にこちらのコメントに的確でした。

私が使うときは、文章だけでなく、引用元などを参照したり、あるいは別の言語(英語)と比較したり(取り上げ方が違います)。下手に個人サイトの適当な意見を読むよりは、情報としてはかなり価値が高いと思います。

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February 18, 2018

教科書的なオーソドックスな情報は結構使える

さて、その対象となる情報についてある程度知ったら比較考量する別の情報が必要になります。

そこでオススメなのが教科書。あまり評価されていませんが、情報リテラシーという面で見ると結構レベルが高いです。

教科書はやはり教育用にできているので、明らかに間違った情報は入れられません。また、中身のチェックも他の情報源に比べ厳しいという特徴があります。執筆陣も査読も一流どころが集められますし、ほぼ定説といえるもので構成されますから、変な情報が入らない。これが個人や一部のグループの執筆のものだと、そこまでのレベルにするのは至難。

情報は吟味すべきと言いましたが、ある意味レベルの高い吟味をそのような執筆陣、査読、検定、さらに使用している先生(その学科についてはある程度知識がある)のフィードバックなどから、すでに代わりにしてくれているのです。

中には政治的な目的で作られた、曰くつきのものもあります。それらは明らかに他の教科書と違うので、あまりオススメしません。 それでも検定など入るので、そこまでとんでも情報は入れられない。

使い方としては、昔自分で使っていた教科書でもいいですし、お子さんの教科書でも良いです。正しいかどうか知りたい情報に関係する箇所と比較する。あまりにずれていると、やはりこの情報の信頼性に疑問を持つことができますね。

例えば、JWだと進化論や歴史、ノアの洪水などなど、教科書を読んでも疑問点は出てきます。ここら辺がずれている程度に使えます。

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February 17, 2018

洗脳とマインドコントロールと専門知と一般知

少し洗脳についてご質問があったので、書きます。

私は読んでおられる方はご存知と思いますが、洗脳もマインドコントロールもJWの信仰の説明に有効と考えていません。理由についてもいつも説明していますね。

この用語は専門家の間でも意見の分かれる「いわくつき」の言葉でもあり、また一般の人が分かったつもりのもなれるある種便利な言葉でもあり、でも実を言うとそのメカニズムについて全く分かっておられない。もちろん専門家でないから当然です、専門家がきちんと一般の方に説明していない、あるいは説明しづらいのもありますけど。

例えば洗脳ですね、①中国共産党で使われていた言葉と②中国共産党に捕虜になっていた米兵の調査時に使われた言葉、さらに③現在マスコミなどで使われている言葉、また④自分の信念の正しさを強調するために使う煽情的な表現、全部意味が違います。さらに一般用語として使われはじめて引きづられるように専門家が使っている例もしばしば見かけます。

ただし、意味の不安定さは相変わらずです。JWの場合、主に③、④の意味で使われることがほとんどです。で、正直言って定義なんてありません。騙されている=洗脳。これ以外ないです。私自身は騙されているかどうかもわからないし、意味も不明確という意味で洗脳という言葉は使いませんし、使えません。

さらに、マインドコントロールは一見心理学から出た言葉と思われていますが事情はそう単純ではない。たしかに心理学者が作ったのですが、心理学全体で見ると結構胡散臭くみられている。

このことを示したのが、裁判におけるマインドコントロールに関するアメリカ心理学会の意見書ですね。これは統一教会の裁判の時に提出され、統一教会側はこれをもって自分たちの活動はマインドコントロールでないから問題ないとしたのですが、そこまでは言っていない。

要はマインドコントロール理論は正規の心理学の方法から見るとあちこちに不備があり、とても心理学の理論として共通の了解が得られるものではないということです。これはマインドコントロール理論が出始めたころから特にアメリカの心理学では指摘されてきたことなのですが。

ただこれを一般の方が理解するには、まず心理学の手法とかきちんとわかっていないといけないし、説明するのが難しいです。

つまり、専門知の中でも、見解が分かれ、一般の方も表面的には理解したつもりになれても中身についてはさっぱりという言葉なので、とてもつかえない。

このように専門知と一般知というのはどうしてもずれるところがあります。

私はまた現実面でも洗脳とマインドコントロールを使うのは難しい、もしくは危険と思っています。一つはカウンセリングなどで使うときに、最終目的がはっきりしない。洗脳やマインドコントロールの定義があいまいですので、どこで解除?解約?とける?何の表現でも良いですが、その状態から解放されたかという基準がない。だから、ひどい場合、その解除するという人へ新たな依存関係が生じる場合もあり得る。新しいカルト的なところを代替的に信じることが洗脳が解けた状態と定義するなら、それもまた違うでしょう。陰謀論やスピリチュアルを信じる人が洗脳とJWを批判するのはブーメランのようなものです。自分たちの信じるものだってそのように批判されることも可能なのです。

また、JWの記憶や思い出、また肯定的な気持ちがわずかでも残っていると「洗脳が解けていない」ということも可能です。というか現実に言う人たちもいます。こうなると定義もはっきりしない負担を当事者に押し付けることにすらなりかねない。彼らの言うマインドコントロールや洗脳から解放されるどころか、マインドコントロールや洗脳されているという概念に縛り付けられるのです。これでは本当に無意味。

そのような、不安定な洗脳やマインドコントロールなどの言葉を使わなくても、JWの行動や信念は十分説明できますし、むしろその方が現実はあっています。マインドコントロールでよく言う情報のコントロールによる信念への操作なんて大仰なことをするほど、JW信者は教理を知らないですし、そういった意味で理論としても破綻しているマインドコントロールや意味の異なる洗脳を使うべきでないというのが繰り返しですけど私の考えですね。

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February 16, 2018

事実の探求って退屈でつまらない

さて、じゃあ事実をどうやって調べるかって話ですが、これはある部分はあきらめないといけないと思うんですね。

本格的にやろうとすると大変で、また難しい。一つは事実を確認するって、ある程度その分野の知識や技術がいったりします。わたしもいくつかの分野で、まあ素人の方よりは詳しいことはありますが、それを説明するのは基礎知識や概念の大枠がないと難しかったりしますね。そしてその分野の専門家の人に話を伺うと、一般の方に事実という情報を伝えるのがいちばん難しいといいます。

逆に専門家の方も、自分の範囲でないものは、正直事実だかどうだか判断が難しいものはたくさんあります。

例えば大学の先生が、コメンテーターで自分の分野と違うことをテレビとか新聞で話される方もいますが、間違っていることもたまにありますね。自分の知らないことって判断が難しい。もちろん私もそうです。興味のないこと、学校で学んでないこと、仕事と関係ないこと、調べたこともないことは全くちんぷんかんぷんで事実かどうかを判断する手段もない(手段を身に着けるのもハードルが高い)。

さらに事実って、そんな劇的でなく、ありきたりだったりつまらないものが多いんです。学術論文とか読むとよくわかります。都市伝説や陰謀論やパラダイスやハルマゲドンや霊の話のような人を魅了するようなものってなにもない。本当に地味です。

だから、そんな勉強も好きでないし、難しいことにはついていけない、調べたりすることもしたことないから何が事実かなんてわかりっこない・・・、いえ少し裏技みたいなものがあって、おおよその検討をつけることくらいは、ほとんどの方ができると思います。これが多くの人が持てる情報リテラシーと考えてますので、ちょっと次回見てみましょう。

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敵を知り己を知れば百戦危うからず

我々は、我々が正しいと受け入れている情報に対して、ほとんど知識を持っていないということもよくあります。

私もJW、元JWの方にJWの教義が真理だと示す根幹の理屈について、どこまでご存知かと質問することが多くありますが、ちゃんと答えられる人は全体の1割いません。9割の人はそんなことは知らずに受け入れ信じている、しかもその中には長老や巡回監督もいる始末です。

逆に言えば、ある情報を信じるのに、その情報についてきちんと知ることは関係ない。むしろ知らないからこそ信じられる。これはマインドコントロール理論と正反対なんですが、現実はそうです(マインドコントロール理論はそう言った知識が認知に深く植えつけられると考える)。宇宙主権の意味とか、王国樹立の理由とか、あまり興味も知識もなかったり。神の主権立証や王国を宣べ伝えているはずなのに。

どなたかが、背教者という言葉への反応が洗脳具合を表すなんて言ってましたが、まあ関係ないですね。背教者として扱われる、差別的、侮辱的、断罪的な措置が怖いというだけの話で、情報としては、あまりわかっているわけではない。もっというと情報としては興味もない。要はその扱いへの恐怖という感情的な反応というだけで、洗脳は全く無関係(洗脳は、ある(政治的イデオロギー的な)思想へ物理的な拘束を伴って転向させること)。

情報リテラシーという視点で見ると、リテラシーが低いからこそ信じるとなるのです。つまり、JWみたいないかがわしい情報に引っかからないためには、リテラシーを上げること。そのためにはまず、敵さんのその情報を知ることが第1になります。

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February 15, 2018

「疑いの精神」を育てよう

さて情報リテラシーを向上させるためにどのようなことができるか、情報の性質、視点の多様性、さらに中立的な視点や事実への謙虚な姿勢が鍵になるということを考えました。

で、具体的な実践ですね。一つは情報を受け入れる際、クッションを置くことは結構大切です。何によって?それは懐疑、つまり疑うことによってです。

え?さっきは謙虚が重要っていうのに、今度は疑えって、矛盾していない?そう思えますよね、ちょっと説明してみます。

情報に触れる際、健全な疑いは、事実への敬意とも言えます。なぜなら、その情報への接触が即事実になるとは限らないからです。自分の接触した情報だから事実に違いないと考えることは、やはり事実への謙虚な態度とは言えないですよね。やはり、事実への謙虚さ、また中立性の見方から見ると、その情報を十分吟味することは、どうしても欠かせません。

しかし、これは非常に面倒なのでショートカットしやすいし、また情報を疑うことそのものが情報元を否定する、あるいは攻撃したり批判すると感じやすいかもしれませんね。なので、なかなか難しい場合もあります。

でも、この吟味が繰り返されることによってリテラシーは向上していきます。先に言いましたけど、それぞれの見方の違いの背景や理由にまで目配せする広い視野が育ってきます。だから、単なる批判ではない、より幅の広い見方が情報リテラシーの向上とともに獲得されると考えています。

疑うことは、なかなかJWでは禁止されていたこともあり、抵抗感がある場合もあります。少しずつ疑うことを練習するのは良いかもですね。

それで、テレビでもなんでもいいので情報に突っ込んで見るのはいいかもしれません。
「なんでやねん!」
「それは、なになにとちゃうの?」
「ほんまか?ほんなら証拠あんの?」
まあ、直接だれかとやると喧嘩になるかもしれないので、一人の時とか心の中でとか少しずつ試してみて、情報を疑うことに慣れることは、情報リテラシーという意味ではすごく良いことと思います。

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February 14, 2018

真の情報強者は謙虚な人

さて、情報リテラシーの高い人、どうなったらそうなれるかって考えているのですが、私の知っているそういったことに強い人たちの特徴を見ると皆全然違うタイプでありながら、一つの共通点が浮かび上がります。

皆さん、事実に対して実に謙虚で柔軟なんです。事実が異なっているとわかると見方を変えることに全然躊躇しない、平気で訂正する。

こういった謙虚さって、むしろ情報リテラシーが低いからそうなるのじゃないかと思われがちですが、実は逆。謙虚さって情報リテラシーを高めるのに必須だとさえ言えます。

JWをやめた直後ってのはいわば情報の扱いに不慣れな、情報リテラシーの低い時期かもしれません。何せ情報の何が正しいかの判断は皆、上にしてもらってたんですから。だから、いざ出て、そこで何が正しいか悩んだり、間違った情報に引っかかったりは当然です。

問題はその後です。間違った情報に引っかかった後の修正、修復ができるかは、事実に対する謙虚さがあるかどうかです。謙虚さは、情報の失敗に対する高い自己修復能力と言えるかもしれません。

情報の選択が失敗だったかどうか、疑わしく感じれば、最初の自分の判断にとらわれず、謙虚に事実を丹念におっていける力。謙虚な人にはこれがあるかもしれません。その繰り返しが徐々に、その人の情報リテラシーの力をつけていくと考えられます。

もちろん謙虚であるということは、指摘されたことをなんでも受け入れることではありません。JWのように、上から言われることを無批判に取り入れることとも、周囲の空気を読んで納得できないことにも合わせてしまうこととも違う。事実を吟味できる謙虚な姿勢ということです。

逆にいうと、いま自分は情報の扱い方に自信がない、でも事実を知るために多少なりとも努力したいという人は、むしろ情報リテラシーを向上させる資質や条件を持っている人と言えます。イエスやソクラテスが言ったように、自分の知識や情報の足りなさを自覚している人が、情報の扱いを向上させるチャンスを持った人だと考えています。

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February 12, 2018

それぞれのJWの見方と無知のベール

さて、情報というのは、全く同じものでも見る方向によって見え方がかなり異なってきます。

例えば元JWから見たことと、JWから見たことと、JW反対者から見たことと、理解ある未信者家族から見たことと、全く同じことでも全然違く見えます。

二世から見るのと一世から見たこと、また未信者家族から見たことも同じです。

芥川龍之介の「藪の中」あるいは黒澤明監督の「羅生門」と同じで、人はその人の視点でしかものを見ない。あるいは自分の都合の良い情報しか受け入れない、あるいは発信しない傾向がある。これらを考えると、情報を見るとき、その人の位置から見たのだということは、少し意識しておくと良いでしょう。そして他の視点から見れば変わりうることも知っておきたいですね。

この違う視点への耐性は、あるいは視点の転換は、情報リテラシーを高めるのに役立ちます。例えば二世の見方と違うからといって一世の見方を否定する、あるいはその逆もこのことを十分に理解していないからなのかもしれません。

でも異なる視点からの見方への耐性、あるいは理解は情報の幅を広げます。私もJWをやめたときにもっとも見方を改めたのは、反対者家族の感じる気持ちでした。今まで考えたこともなかったことを恥ずかしく思ったものです。

そのやるせなさ、やり場のない鬱屈した気持ち。でも怒るにも悲しむにもどうして良いかわからない無力感に、深く同情の気持ちを感じましたが、それはそのような方向から見るとそう見えると事実の幅が広げられたからなのでした。

そうなると自分の立ち位置も少し冷静に見えてきます。情報が広がると、そういった物事を客観視する力も得られるのです。

そのため、自分の側から見た視点以外にもう一つ第三者的なあるいは先入観抜きの視点を持っておくと力になります。これは政治哲学者ジョン・ロールズが唱えた「無知のベール」という考え方が近いかもしれません。

「無知のベール」は何者にもなれる初源状態(知性と情報はある生まれる前の状態)で物事をどう見るかという視点で、正義の探求で使われる概念ですが、我々も使わない手はないですね。例えば二世でも、一世でもない、信者でも、元信者でも、未信者でもない。全くの無知の状態で改めて情報を評価し直す。すると結構、自分たちの見方による情報の偏りを補正することが完全とはいかないですが、ある程度は可能です。

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February 11, 2018

情報の特徴について

まずはリテラシーですが、元々の意味は「読解能力」を指します。

「情報リテラシー」は情報を収集し、評価、批判的に分析、さらにその情報を活用できる能力ということです。

関連する言葉にメディアリテラシーがあります。これはメディアからの情報に対する読解能力で、インターネットなどのメディアが多様化した現在は、不可欠な能力ともなっています。

さて、情報の性質を知ると、情報をどのように扱うことができるか少し見えてきます。そこで情報の特徴を見てみましょう。

①情報は有限
情報は全てを得ることも発信することもできません。そのため、どうしても限界があります。逆にいうと、自分が今得ている情報は、部分的なものに過ぎないということを知っておくと良いですね。

②情報の信頼性はソースに近いほど高まる
情報は伝言ゲームと同じで、発信源から遠ざかると劣化する可能性が高くなります。

例えば、JWの情報は聖書が発信源と言いながらほとんどが彼らの意見の反映された出版物です。情報としては聖書の方が(聖書を情報ソースとみなした場合)ソースだということで、これを直接見た方が本当は早い。情報としては聖書に当たるべき。

伝聞情報も同じです。その情報を直接見た人のものか、それとも友達がその親戚から聞いたのか、は同じではないということです。でも、ネットでは全く同じように扱われているのを度々目にします。

もう一つは情報のソースだから信頼できるわけでもないということです。だから近いから良いというわけでもなく、可能性が高い程度ですが。

③意見と事実は異なる
これも境界線は曖昧ですが、一応峻別する習慣をつけておいた方が良いです。意見や願望、こうに違いないという発言は、いずれにせよ事実と区別する方が良いです。例えば、陰謀論などは事実というよりは意見です。歴史修正主義もそうですね。JWの聖書解釈も意見に相当します。

ただし、情報が本当に事実かは、すぐにわかるものでもありません。私はいつも事実と思えても、暫定的な事実として扱います。まず、発信源は信頼できるか?根拠はあるか?反対陣営の人も認めているか?客観的に見て違和感がないか?などをかなり見ます。

④感情という情報はわからない
これは情報リテラシーとは違くて、コミュニケーション能力に当たるのかもしれませんが、相手の動機とかを情報から本当にわかるかというとなかなか難しい。相手は怒っている、悪気がある、などは情報を扱うというときには、決めつけることはしない方が良いかもしれません。もちろん、その可能性は頭に入れておくことは必要かもしれませんが。

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情報リテラシーと筆者

まずはお前にそんなことを書く資格があるのか?という声に応えるべく筆者と情報の関係。

私は取材などで文章を書くことを生業にしておりまして、その情報の質や重要度、また真偽など、裏どり調査まで行うなど日常的に行なっています。

ですから社内でも、あるいは外部の専門家の方や一般の方々からも、情報の価値や真偽などの問い合わせはいつも受けて応える立場で、それなりに情報への感度は研ぎ澄まされる環境下にいます。当然、大学教授やトップ企業の技術者など知恵袋的な、その業界を代表するような方々に相談できるようにはしているのですが。

それでも、誤った情報に引っかかりそうなことは度々です。それくらい情報は難しい。過去には始末書ものの大損害を与えたこともあるし、先輩のクビが飛んだこともあります。

そのため、我々の業界では情報の扱いはかなり慎重です。それでも世間では、マスゴミと呼ばれるように情報の扱い方を恣意的と常に疑われる。まあそういった立ち位置で、常に情報をどう扱うべきかを考えざるを得ない立場なのです。

またJW問題でも情報の扱いはかなり慎重な方です。センセーショナルな話題で盛り上がっているときに水を差すような発言が多いので、誤解されやすいですが、情報という視点でバランスを取っていると考えています。

そのため情報リテラシーについては、他の方に比べてかなり深掘りしている自負はあります。もちろん、それより優れた方達もたくさんいるとは思いますが、不肖私のようなものでもある程度は語れることはあると思います。

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February 10, 2018

情報リテラシーとフェイクニュースと元J

なぜ、情報リテラシーの話を書くかというと現在、責任論という文章を書いていまして、その現代的な問題として、フェイクニュースを取り上げていまして。これが、情報リテラシーに非常に関係が深い。

フェイクニュースってトランプ大統領やマスゴミとか偏向メディアが広げているんではないんです。受け手のメディアリテラシーの低さが情報を拡散し、あるいは発信源にすらなっている。

それは、ここもそうだけど、SNSなど受け手も情報の送り手になれる現代のメディアの特性が大きいでしょう。トランプの誤った情報を熱狂的に支持し、応援して、拡散する、また有利な情報を新たに創作する人がいなければ、彼は大統領にすらなれなかったのです。

実を言うとこの状況は元JWの言論空間でも同じです。発信力の強い人がとんでもないことを言っても、元JWだからということで信頼され、たくさんリブログされ拡散して、賞賛されるという現象はすでに見られています。

発信元も受け手も情報リテラシーが低いゆえ、いかがわしい情報が真実として広まることが容易になる環境といえるかもしれません。私も在特会のヘイト思想の宣伝に協力してほしいとか、元JWから色々言われましたけど、そういった民族差別、歴史修正主義、ベンジャミン・フルフォードなどの陰謀論、オカルト・スピリチュアル、心理学など科学の誤用、個人情報の間違った扱い、著作権侵害、通信の秘密保持の違反、被害者無視の組織攻撃など、さまざまな問題を抱えています。

情報リテラシーが高い人であれば、それについて何かいうこともないし、自分で判断して、となりますが、判断を依存しやすい環境下の方々には、その問題点をエビデンス(根拠)を含め、噛んで含めるように書かないといけないと感じています。それで、周りとの軋轢や強い発信力を持つ人たちに嫌われたり避けられたりすることは、誰かが甘受しないといけない、そのお鉢が回ってきたときに受けられるのは、私くらいなものなのだろう(すでに回ってきてますが)と考えてはいますが。

そこで、一応情報リテラシーを生業としている者として、情報の見方を若干講義できたらと思います。興味ある方はしばしお付き合いを。

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February 09, 2018

ポストJWの情報リテラシー

JWを出た後ってどうしても情報リテラシーが弱い傾向があります。

一つは今まで情報が上から自動的に与えられたので、自分で主体的に判断する力、判断する筋肉って言ってもいいでしょう。これが弱っているんです。

それに加えて、情報の少ない環境。例えば、巡回監督などミカン箱とものみの塔の出版物しかない質素な生活で十分と言ってましたが、これは情報リテラシーという面で見ると情報の孤島にいるようなもので。

しかも高カロリーで栄養価の低い情報、彼らのいうところの霊的食物ですが、情報という視点で見ると恣意的で根拠薄弱、思い込みと間違いだらけの、価値の極めて低いものです。しかも無意味に大量。これを大量に摂取してたんですから、情報のコレステロールが溜まってるんです。

このため、やめた直後に出会った情報に十分な考察をすることもできず、はまってしまったり、無批判に受け入れる傾向があります。また、今までJW肯定の情報ばかりから、根拠も何も関係なく否定的な情報であればなんでもかんでも信じてしまったり。

また情報リテラシーが低いゆえ、客観的な見方が育たず、いつまでもJWの影響を引きずることもあります。こういったことを考えると、やはりJWをやめたあと、情報リテラシーを強化することは大きな意味があると考えています。

情報リテラシーは、上で書いたように筋肉みたいなもので、ある程度鍛えることは可能です。ただそのための姿勢はあると思います。

一つは、第三者的な視点で見ること。また、自分の思い込みをできるだけ少なくするよう、意識的に考えることが重要です。情報を手放しで受け入れないクッションを自分の内側に作ると同時に自分の見方もすぐに採用しない、自分も疑うという感じですね。

情報の摂取は、最初は、質より量です。情報リテラシーという筋肉は落ちて、いわゆる凝り固まった脂肪のような固定観念や考察の傾向があるうちは、質の高い情報の判断はなかなか難しい。その脂肪を落とすという意味では、多様な視点の情報をとにかくたくさん読む、聞く、見るということが順序としては良いと思います。これはJWだけでなく、その他のより議論が進んでいる分野で、応用可能なテーマが望ましい。

これをするだけでも、かなり思考が柔らかくなります。脂肪を燃やすというんですか。よく、元JWのブログをたくさん読むことが良いのでは?という意見もありますが、私は多様な意見を入れるという意味では、逆にある方向に共鳴する(エコーチェンバーと言います)可能性が高いので、情報リテラシーを高めることにはならないと考えています。

また、JWの情報は、まだそこまで議論が深まっていない途上のものという点もあります。さらにネットの個人的な意見は玉石混合で、それこそ共感したもののみを受け入れることにもなりかねません。もちろん、それが間違っているということではないのですが。

次に質を高めるには、それら摂取した多くの情報の中から、一つで良いので、理解が今まで難しいと感じていたが、でもなんとか理解したいというものに取り組むと良いでしょう。用語の意味やその背景、考え方、学問的裏付け、根拠、それらを精査しながら、何度も読解を繰り返すうちに、おぼろげながら輪郭が浮かび上がってきます。

情報リテラシーは量と質のある種トレーニングが必要なものだと思います。楽なダイエットに走るとリバウンドすると同じで、ある程度、自分の情報の能力に負荷をかけて行うとより効果が高いと思います。

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February 07, 2018

エホバの証人をやめさせるのも洗脳

例えば、友人から「あなたって洗脳されているんじゃない?」って、突然聞かれたらどう思いますか?人によっては絶交ものの不謹慎な言葉でしょう。それくらい洗脳という言葉には、負の破壊力があります。

なのに、意味もかなり曖昧に、あまりに無考えに使われているのも実際で。ここら辺はかなり懸念しています。人によっては、すごく傷つけられることだってあるんです。そういった相談も受けることもままあります。

洗脳という言葉は、元々は中国語の洗脑(スィナオ)の英訳であるbrain washingの翻訳。中国共産党の思想改造の方法を説明するもので、映画「ラスト・エンペラー」では、溥儀になされているシーンが出てきますね。朝鮮戦争時に中国の捕虜になった米兵から入ってきた言葉で、ロバート・J・リフトン(心理学者と紹介されるけど、確か違うと思う、正確には精神科医)の研究で有名です。

基本は囚人など身体的行動を制限した環境下での、転向への説得を指します。政治的な意味合いも強く、拘束下でのオルグと言えば良いでしょうか。この意味で言えば、テロリストを拘束して、その過激思想を変えさせることだって、洗脳と言えば洗脳になりますね。

しかし、エホバの証人自身の改宗は、身体的な拘束下とは必ずしも言えず、その確率も極めて低いので、洗脳という言葉は厳密にいうと使えません。さらによくマスコミとかテレビなどで使われる洗脳は意味があまりに漠としているので、これもほとんど役に立たない代物です。

しかし、エホバの証人関係の出来事で洗脳に近い方法が行われたことがあります。

エホバの証人信者の反対者家族とエホバの証人から救出するという、脱洗脳カウンセリングを行うと称する牧師が協力して、信者をマンションの一室に監禁、強制的な棄教の説得を行いました。

私は、これは人権上の問題としても、また説得に応じなかった場合の信者のダメージなどを考慮すると絶対すべきではないと反対の声をあげたのですが、そのまま続けられ、結局信者から訴えられて裁判で負ける結果となり、そこで初めて続けられなくなったのです。

原義からいうとこのような、エホバの証人をやめさせる手法こそ洗脳そのものです。それを「脱洗脳カウンセリング」というのは、皮肉としか言いようがありません。

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February 06, 2018

ホンマでっか!?テレビの佐藤くん

の話題がいきなり親友からメールで来て、なに、あの金正恩みたいなのは?二世なの?何か変にテンション高いんだけど、ってですね。

自分は全く見てないんで、コメントしようもないけど、ちょっとスピリチュアルにハマっている、それなのに洗脳解約ビジネスなどをしようとした、ちょっと危ない人だから距離を置いてるということは言っておきました。ブログで見た方の話を読む限りでは、「洗脳」についてまた適当なコメントをしてるみたいで、相変わらずですね。まあ、肩のこらないエンターテイメントの番組でちょうどよかったんじゃないですかね。

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February 02, 2018

ガマの穂が揺れるころ

自分の母親ってのが、まあ体があんま強くなくて、開拓やっちゃ、体壊して、寝込んで、を繰り返す人でして。

でも研究生だけはいつもいたようで、よく連れてかれました。バスに乗って、舗装もされてないとんでもない田舎道を歩いて。よくカエルが引かれてて、たまに蛇も出る。

湿地帯の横を通るとガマの穂が揺れていて、因幡の白うさぎじゃないですが、眺めてると母親はあれでケーキができると「目ざめよ!」に書いてあったとか。当時は全くケーキなんて食べさせてもらえないですから、もうガマの穂がケーキに見えて仕方ない。

そんなこんなで、ポツンとある二階建ての細長い家に着く、母親の研究生ですね。双子の男女でどっちも目がクリクリして。女の子はいつもニコニコしたおしゃまさんで、男の子は物怖じしない、でも憎めない元気いっぱいで。確か私の妹もいたかな。どうだったか覚えてないけど。

で、家では見てはいけない「レインボーマン」とか「コンドールマン」とかいわゆるヒーローものですね、一緒に見ていたのを思い出します。

その男の子に、数十年後に会うとはね。河原のオフ会に行くと、あれ?あの時の双子の一人が。オフ会主催者のロゴスさんでした。おじさんになっても面影は全然変わっていない、あの頃のままの表情話し方で。

だから、彼のブログ見るといつも胸が痛いですね。彼も彼の家族も巻き込んだのが、うちの母親ですから。もう少し母親が賢明な人ならと思うけれど、まあ本当に愚かな人ですし、別の人から聞いて同じだったかもしれないけれど。まあ、そこに、たら、れば、を言っても仕方ないんですが。

でも、紆余曲折があるかもしれないけど、最終的にハッピーになってもらえたら、少しは心が晴れるんですが。

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