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May 31, 2018

好奇心の扉を開こう!

JWの知的空間というのは、きわめて狭い偏った自家中毒的な場所ですね。世間的な言い方をすればタコツボ化してるってんでしょうか。

井の中の蛙状態なんですね。でもJWをやめた後も井の中の蛙状態で、世界をちょっとだけ見る人もいます。そしてJWへのこだわりをいつまでも捨てれない。

例えば、最近のロシアや中国のJWの扱いの情報の見方。元JWさんの意見を読ませてもらうけど、典型的なタコツボ化した見方で。それはロシアや中国の他の情報をほとんど無視して、その部分だけで評価するからそうなる。

中国での法輪功の問題やロシアの人権問題、人権派弁護士の拘束やジャーナリストの暗殺など多発する国際的に危険視される状況についてほとんど気にも留めない。というか知らない。無知。JWに関連すればそれだけ、それはあまりに視野が狭い。井の中の蛙が大海も知らずに論じているに過ぎない。

なぜこうなるのか?それは、やはりそこまで世界に関心がないからだと思う。自分の半径何メーターの世界。それがたまたまJWで、今まで騙されてきた、そこには感情のスイッチを入れるものがあるから反応するだけです。それでは意味がない。

世の中にはJW以上に様々なことがあるわけで、もっと言うとJWだけが世界ではない。それは、ほんの一部。いつまでも井の中にいるのはもったいない。

海外のJWの性的虐待を国内でもあると言う人がいる。根拠はないし言っている人が何かしたわけでもない(少なくとも私はJW時代に国内でその問題に動いたクチですが)。ならばどのように被害者に支援や対応すべきか話し合うべきなのに、そうではなく、ただマスコミに出てJWを叩く道具に使いたいだけ。被害者への痛みを共感的に理解する気もない。それの意味がわかっているのか疑問です。二重の意味で視野が狭く、その問題の本質がわかってもいない。では一般に行われている性的虐待についてはまるで興味もない。それは歪んでいないのだろうか。

広い世界にもっと出るべき、さらに視野を広げるべきだと思いますよ。井の中の蛙を卒業して、大海に出よう!

そのために必要なのが好奇心。知的好奇心は多くの扉を開けてくれる、あるいは井の中から出るハシゴの役割を果たします。もっと興味を持とうよ、世の中へ。それを結局JWと同じとひねて見る人も多いけど、それは井の中からしかまだ見てないから。

大海から見れば井戸なんて本当にちっぽけ、タコツボ化した世界なんて取るに足りない。そして、その視点から改めて世界を見ると、今まで見えてこなかったことがたくさん見えてきます。そして、より冷静で客観的にものを見えるようになると同時に、JWの世界の影響が小さくなるのです。と言うか影響力などそもそもないのですが、彼らの知的空間にはそれだけの知的説得力は皆無なことに気づける。

さあ好奇心の扉を開こう!大海に出よう!

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May 30, 2018

太陽の男たち

JWをやめる前の時期に最も関心があったのはパレスチナ問題でした。だっておかしいでしょう、古代のイスラエルやエルサレムの出来事から自分たちの時代の出来事や教訓を得ようとするのに、現代のイスラエルやエルサレム周辺で起きている事柄に全く無関心なんて変だと思っていた口でしたから。

これについてはJWには後ろめたい過去があって、彼らはイスラエル建国(パレスチナ側から見ればナクバ(大破局))を当初は聖書の預言の成就と見なしていた。ユダヤ人がJWに大量改宗するという厨二病的な妄想を語っていたくらいです。だから、パレスチナ問題については他のアメリカのキリスト教会と同じく、いつも歯切れが悪い。これをアメリカのダブルスタンダードといわれる原因なのですが。JWも全く同じですね。

パレスチナ問題については、私が感覚を知るために読んでほしいと思う小説が「太陽の男たち」。これは、パレスチナのジャーナリストで詩人、また小説家のガッサン・カナファーニ、彼はその影響力を恐れられてイスラエルの諜報機関モサドによって爆殺されるのですが、彼の書いたパレスチナ人の置かれた状況を隠喩的に描いた小説。

誤解されていますが、パレスチナでは当初からテロやゲリラが活発化していたわけではないのです。この小説を読むとわかるように、本当に当初は給水車に入って死にそうなのに、その壁を叩くことすらできないくらいおとなしかった。もし激しく抵抗していれば、それこそイスラエル建国はできなかった。

そして、パレスチナ問題が単なる民族問題ではないということを見事に描いたカナファーニの「ハイファに戻って」。主人公のパレスチナ人の対立するのが、ユダヤ人として育てられた実の息子なのです。

パレスチナ問題は複雑すぎてわからないといいますが、そんなことはない。我々日本人も十分理解できる出来事です。

例えば、宗教が複雑に絡んだ問題というのも微妙に違う。イスラエル建国のスタートとなったシオニズム運動は当初非宗教的(社会主義的)でユダヤ教指導層と対立し、ユダヤ教指導者を暗殺したことさえある。ユダヤ教では、国家を神と近い位置まで持ち上げるこの運動に嫌悪感を持っていたくらいです。

じゃあ、なぜイスラエルなのかというと、彼らとしてはアルゼンチンでもアフリカでもどこでもよかった。彼らは国家を持たない民族だからこそ激しく差別、攻撃されると考えたのです。そのため国家を持てば他の民族と同じくノーマルになれると。それくらいヨーロッパのユダヤ人差別は酷かった。フランスのドレフュス事件とか先進的な国でさえそうでした。東ヨーロッパのポグロム(ヘイト行動によるユダヤ人虐殺)など20世紀にさえ起きています。

その後、第一次大戦の英仏のトリプルスタンダードの密約。アラブにはフサイン=マクマホン協定、ユダヤ人にはバルフォア宣言、そして宗主国英仏はどちらも果たさず自分たちの利害だけを考えたサイクス・ピコ協定と、いわゆる三枚舌外交を行う。そして、バルフォア宣言ののちに起きたナチスの台頭によるユダヤ人のヨーロッパからの大量の難民発生がアクセルとなり建国が進められるようになる。ユダヤ教もユダヤ人の命を救うためというために妥協せざるを得ない。

しかし、イスラエル建国のその地にはすでに人々が住んでいたのですから。ある日、自宅と畑が接収され、全く知らないヨーロッパやロシアから来た人のものになるというありえないことが現代の世界に起きた(前出「ハイファに戻って」に詳しい描写があります)。これがパレスチナ問題の本質です。その根拠に聖書まで使われた。

つまり、パレスチナ側からいうと土地の収奪、ユダヤ人からいうと入植。彼らの入植は誰かの土地を奪うことによって成立するのです。そして、追い出される。それがパレスチナ難民の発生です。その後パレスチナ難民の虐殺が何度も行われました。ある場合イスラエル軍によって、あるいはイスラエルと協力したキリスト教民兵の手によって。

現代はイスラエル右派政権リクードとアメリカトランプ政権という最悪の組み合わせでますます彼らが追い詰められる環境になっているのは、非常に問題。アルカイダを始め、多くのイスラム系テロリストが自己正当化に使うのが、アメリカのパレスチナ問題でのダブルスタンダードですから、まさにそのまましている。

私もある元JWの牧師さんにこれについてどう思うか尋ねるとやはり奥歯に物の挟まった答えが。彼が言うには、自分はイスラエルに定期的に訪問するゆえ、彼らを怒らせるようなことはとても言えない。パレスチナ人のあっていることは見て見ぬ振りか、と言うと黙ってしまいました。

パレスチナ問題について一般の人にもわかりやすいものとしては、「まんが パレスチナ問題」があります、イスラエルだの、エルサレムだのに関心がかつてあった方々には、是非読んでほしいですね。そして今一度、聖書の内容が実際に人々に与えた影響を考えてほしいものです。それは良いものだけでは必ずしもない。

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May 29, 2018

昼ブタ夏オフ7月15日

毎年恒例の昼ブタ夏オフが7月15日東京で開催されます。
昨年は100名以上の方が参加されたとこの手のオフ会では最大規模です。

詳細はリンク先を見ていただくとして、初参加の方は紹介が必要となっています。もし、誰も紹介してくれる方がいなければ、私が紹介者になりますのでご相談ください。

https://ameblo.jp/toshiki2018/entry-12378240738.html

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May 26, 2018

神奈川県民オフ会の巻

参加させていただきました。主催のロゴスさんありがとうございます!

また、JWとは全然関係ない話で盛り上がったり、串カツ屋では、クダ巻いたりであれでしたが、これに懲りずにお相手してくださいませませ。

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JW攻撃のためだけに未成年を晒す行為について

JWの12歳当時に行った行為を顔写真入りでブログにアップしておられるがいます。

海外の情報とはいえ、それは非常識。JWを攻撃するためになんでも許されるというわけではありません。

未成年の非行に対しては、児童福祉の観点からその個人情報を保護すべきというのが現在日本の少年法の考え方で一般にも準用されています。もちろん、現在この考え方にも異論はあるのは承知ですが、少なくともただJWを叩きたいためだけに未成年を利用すべきではない。

もちろん、そのようなことはきちんと矯正することが必要なのはいうまでもありませんし、被害者の保護は十分になされるべきでしょう。

海外の情報は、この点差異があることはきちんと知っておくべきです。

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/60913/1/no7_01tsukamoto.pdf

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May 24, 2018

複眼思考

さて、我々がJWをやめた時によく使われた言葉で、現在JWをやめた方たちにははほとんど見かけなくなった言葉があります。

「複眼思考」

なぜ見かけなくなったかというと、言葉自体の賞味期限ということもあるけど、我々がやめた時の多くの人たちのやめた理由と現在のやめた人たちの理由が、かなり変わってきているからというのもあるかもしれません。

現在やめた人の主な理由を拝見すると、かなりのパーセンテージでJW内で行われていた児童への性的虐待のインターネットの情報をあげられることが多い。もちろんそれは忌むべきことで感覚的にわかる。考えなくても感情が拒否する。

しかし、我々の頃はそういった情報も、そもそもJWの(外部的な)情報すら少ないわけで。「良心の危機」も英語でしかなく、部分的な翻訳で読む程度。やめる時には、そういった感覚的な嫌悪感情でやめる根拠が少なかったんですね。

さらに元JW自体もオープンにしている人は少なく、他の知りたい第三者、反対者家族とかキリスト教関係者や弁護士さんとかカウンセラーの方とかに、中立的で客観的な情報を提供しなければならなかったこともある。

こういった状況だから、JWの問題点を理屈として考えなければならなかった。そのための手法としてよく言われたのが、この「複眼思考」です。

これは、単眼思考と対になる言葉で、単眼志向の方がわかりやすい。単眼思考とは、物事を決まり切った方向からしか見ない考え方で、紋切り型とか固定観念とか、言われたことをそのまま鵜呑みとか。JWの考え方が典型的な単眼思考ですね。これをJWの問題の起こる源泉のひとつと考えた。(他にもアメリカでは「1984年」で有名なジョージ・オーウェルのスターリニズム批判と重ねたり、白黒思考とか二元論とか様々な理屈が言われていた)

これに対し複眼思考は多面的、多角的に見ようという姿勢。物事を一面だけではなく様々な要素やまた前提さえ疑う姿勢ですね。

これで、JWを見て考える問題の捉え方と感覚的なJW批判とはかなり異質に、別物になります。もっと言うとJWをやめた後どうするかということまで含めて、複眼思考という考えを持とうとすると、それはJWに対する良くも悪くも、ステレオタイプそのものを持たないことを意味するので。まあ、前回の相対化に近いかな。

さらにJW問題を一般の問題と同質に扱えるので、極めてドライに対応できる。つまり感情的な要素を排除できるので、いつまでもぐちぐちとこだわることは少ない。早くにJW問題を理屈の上でも、感情の上でも、過去のものにするのに極めて有効な手法とも言えまして。

複眼思考については結構ロングセラーになった「知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ」なんて書籍がある。私自身は当時は読んでなくて、でもまあ似たようなことは考えていたかな。まず、固定観念を壊せ!それは別にJWでも、他の一般で常識とされることでも。それは時に元JWの常識に向かう時もある。そこに合理的な疑いがあれば、当然そういったことはあり得る。

当時はそういった見方が、時に激しくぶつかることもありまして、そうすることによって自分の見方を調整していく。切磋琢磨というやつで現在は見かけませんね。やはり感覚が優先されているから、そこを傷つけられることが怖いのだと思う。その分、論理は大きく後退した点は否めないですかね。最近の元JWの文章を拝見しても、長いものでも論理的な文章は稀です。どんどん感覚的になっている。(もちろんそれが悪いわけではない)

それは、現在のJWをやめるのに必要な情報がふんだんにあり、少し勇気を出せばすぐに入手できる。しかも感覚的、感情的な反応を引き出せるような情報。そこにはそれほどの理屈は必要ない。つまり、誰でも簡単にやめられるという、情報としてみると良い環境になっているのもある。だから、やめるための理屈やら姿勢やらなんてあんまり関係ない。その意味では、現在複眼思考のような方向で考える人が少ないのも十分わかる。

複眼思考という姿勢は別にJWをやめる時のためにあるものではないし、なくてもいいわけですね。JW時代の単眼思考は維持したままで、感覚的にするのも、まあ現実はそちらの方が多いとは思う。だけど、単眼思考の見直しは、やめたことをプラスに、ポジティブに持っていく時に、あるいは相対化する時には役立つものでもある。また先に言った論理的・感情的な決着は早期につく。そのような、一つの有効な道具として考えられるわけでして。

さらに外に敷衍するために、あるいは客観的に外部にJWの問題を説明する際はかなり必要になる。当たり前だけど、自分たちだけの一方的な感覚的な捉え方だけだと、結局内輪だけの内容にとどまる。そこを超えること、あるいは超えて理解することは難しい。

外部から見ればJWの内部で起きたどうでもいいような問題は、社会の諸々の問題の中で埋もれるものなんです。ときどき、なぜ日本のマスコミとか、一般の方々はJWの問題を認識しないのかって疑問を書く方いるけど、上記の視点は抜けている気はします。そこまで他の社会的な問題に、その人自身は全く関心がなかったり。

まあ、だからと言ってそういったことが全ての人に必要などとは思いません。でも、それが必要と考える方がいれば、複眼思考という観点も参考にしてもらえば程度ですかね。

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May 23, 2018

JWをやめたあとのものの見方について(JWへの、あるいは一般社会に対しての)

JWやめたあとの、ものの見方をどうするかはかなり多くの方に課題になっている気がします。

なかなか、こうというのはないのですが、あるいは各人の自由なんだけど、まあ比較的うまく行っている方のやり方が参考になるかな。

一つはJW基準の諸々をどうするか。JWというのは社会集団の中の片隅にある一つに過ぎないわけで、世界の人口比でも日本の人口比でも1%にも満たない人々の極めて狭い範囲の出来事。これをそう考えるか、それとも自分の考えの中心的に捉えるかでだいぶ違います。

これを中心として社会を、そのフィルターで見てしまうことは、まだJWの価値観に縛られてしまう(それがJW反対でも)可能性があるわけで。もちろん当初はそれでいいけど、その後もずっと続けていくことはあまり望ましいこととは思っていません。当人にも周囲にも。

JWをやめても一般社会を「世」と捉える見方をしているのは、やはり一般社会とその当人との間にある距離や壁を感じさせますし、JWも自分も一般社会の部分に過ぎないという事実を無視しているかもしれない。

ここら辺で鍵になるのはおそらく相対化。相対化の反対は絶対化ですから、その逆ですね。絶対化しない。距離を取って見る。なかなか当事者だったから難しいとは思うんですが、方向性としてはその方向が良いかと。

JWを相対化して見ているとJWを基準として物事を考えなくなるんですね。これは大きなメリットです。日々考えることが、JWを介さないで済む、つまりJWのことを考える時間や機会が少なくなる。あるいは全く考えなくなる、必要なくなる。

そもそも論ですが、JWって物事を考える基準として使うにはあまりに足りないし、視野が狭いんですね。また、独善的で厭世的なので、JWに反対する立場でも、この感覚が残ると変な感じになる。

一般社会についてネガティブな見方で自分だけ切り離して見るより、自分もその中の一人として何ができるかを前向きに捉えなおせれば、JWみたいに世の中に対して偉そうに批判しながら、自分達は何一つ貢献することをしようともしないという態度を真似しなくてすむ。

と同時に、JW以外の今後接するあらゆる社会集団を絶対化するという愚を避けるための心構えができる。それは会社組織やら学校組織、最近もありましたね、日大のアメフト部とか、相撲部屋とか、ブラック企業の過労死までさせることとか。ネット社会でも良いです。これを当事者になっても、部外者的な相対化する見方で評価、そしてそれに基づく行動のモデルにすることもできうる。

それをできるのは、いくつかあると思うけど、以下があると良いですね。

①自己肯定感
相対化する基本は安定した自己にあるような気がします。自分が不安定であると他者の絶対に頼らざるを得なくなる。
自己を肯定することは、別に根拠なんてなくても良いと思います。もちろん間違うこともあるし、全て知っているわけでもないことを承知で、謙虚に、それでも肯定してしまうことって大切な気がします。

②世界への根源的な信頼の感情
これが引っかかることが多いと思いますが、特にJWが植え付けた一般社会へのイメージとしての不信がなかなか払拭できないとか。
でも、もっと目線を下げて世の中を構成する個々を見れば、我々と変わらないわけで。その事実を冷静に見れば、結局信頼というのは相互作用で、もちろん壊れることがあっても、多くの人は信頼したいし、信頼されたい。そこを過度に疑り深く見て、世界観をドライに見ることもない。「私もその世界の一員で、たとえ信頼を毀損することが時に起きても、自分たちで信頼構築に貢献できる」ということですかね。

③知的コンプレックスと好奇心
コンプレックスって悪いことのように語られがちですけど、時には必要だし、自己の不足を認識することって次につながる動機付けになりうる。JWやめた後って色々な不足を痛感することも多いと思います、それを一つ一つ埋めていくことを楽しむ感覚。好奇心とか、これって大切。これらがあると相対化するために必要な材料、客観的な知識とか、ものの見方を広げることとか、色々できます。
よく言いますね、賢い人は愚かな人からも学べるが愚かな人は賢い人からも学ばない。これは、結局この差なのかもしれない。

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May 19, 2018

大学に行けなかった人が大学を卒業する方法

JWやら長老や親が大学教育はダメと言っていたので、大学で学べず悔しい思いをされた方も多いと思います。でも、人の行く裏に道あり花の山なんて言いまして、ちょっと大回りして、大学教育を受けるという手もないわけではない。

働きながら大学卒業するとなると大変ですが、それなりに良いこともある。一つは見方や考え方のベースが広がること。また学ぶということが学べる。ええ、生涯が学ぶことですから。いつからだって遅すぎるということはない。

その一つの手段が通信制大学です。私もこれを利用した口ですが、まあかなり大変。ある程度、自分の、あるいは家族の時間が犠牲になる。なので万人にお勧めできませんが、次の条件に近い方が良いかな。

・大学で本当に学びたかった
・学ぶのは好き
・資格取得をしたことがある
・社内の文書を書くのは早い方
・出不精でない
・習慣化することができる
・自己のスケジュール管理は比較的出来る
・仕事の時間の調整はある程度可能
・お金はちょっとある(学費が安いとはいえ)

もちろん学歴のためでもいいのですが、それだけだとモチベーションを保つのに、かなり辛いですから、マラソンを何としても完走するという感覚でチャレンジですか。

まず、大変なのがレポート。これで卒業できないのが圧倒的に多いので、無理しない計画でのレポート提出が卒業の鍵になります。もう、なかなか通らないレポートとかで、めげそうになることもありますが、そこらへんは割り切ってですね。ある程度ルーチンで出来るような習慣と環境づくり。これができるか、できないかですね。私の場合は、家族の時間があるので、休日は避け、平日の遠距離通勤の途中の時間と昼休みを当てました。

あとインターネットなどで、人のレポートを真似する人もいますが、これはしてはいけない。せっかく学んだことが身につかないし、もったいない。それにバレると戻されます。もちろん禁止です。

もう一つがスクーリング。これを考えると自宅からスクーリングに通える範囲の大学が良いですね。大学へ行っての試験もありますし。遠方では、最初は旅行気分で・・・と言ってもなかなか卒業できず、いやになると辛くなる。などと言っても地方での出張スクーリングなどもあって、私も高知とか飛行機に乗って行きましたし、結構遠くから来ている人もいました。これはお金と、5、6年後もその意志が保てるかと相談ですかね。

試験もあります。これもなかなか通らないと嫌になりますが、そこをなんとかですね。でも通れば単位が取れるので、卒業までの単位を計算しながら地道にですね。これで単位の8割でも取れれば、あとは逆算して頑張れる。そこまで行くのが大変なんですが。

卒業時には、論文を書く場合もあります。私は書かずに卒業試験と面接で済ませた(その選択は出来る、学校としては試験の方が良かったっぽい)のですが、余裕があれば論文にチャレンジするのもあり。

さらに、大学院まで行きたい方には、通信制の大学院まであります。私の大学でもありました。

学べる大学も、また学科も増えています。私の時は心理学科なんてあまりありませんでしたが、今は人気あるのか増えている。医療福祉やビジネス系など職業に直結するようなのも多いです。工学系や芸術系のもありますね。

ネームバリューだったら早稲田とか慶応とかもあります。ただし、通学生と同じレベルを要求するということで、レポートやテストはかなり厳しいと言われていました。また、よく言われたのが放送大学。これは、行っている人も結構評判は良い。教えている教授は一流ですし、かなり本格的に学べるのと一科目から受講できる。もちろん学士を取る目的なら、一定の単位を修得する必要はありますが。ここを卒業して大手新聞社に勤めておられる方を知ってますし、なかなか面白いかもしれません。

自分も卒業して正直学歴としてはほとんど役に立っていない(転職に使わなかった)のですが、やはり学んだことは生きていますし、また複雑な問題への対応に、学んだ科学的な基礎リテラシーがあるのとないのとではだいぶ違う。ここら辺が一番良かったところでしょうか。もちろん、転職時の履歴書に書ける学歴にも使えるでしょうね。

今、教育の中での課題が生涯教育、あるいは生涯学習支援。高齢化社会で、人のいつまでも学びたいという要望にいかに答えられるかなんですね。私の義理のお母さんも60過ぎて通学の大学に行かれて見事卒業されました。古いことにこだわるより、新しいことにチャレンジする、その一つとして、実際には大変ですけど、学ぶ意欲があればおススメです。

ただし・・・、通信制大学は、かなり茨の道。卒業できるのが1割〜2割程度ではないかと言われるくらいです。つまり8割とか9割は卒業できないような。何せレポートが本当に大変、入りやすくても出にくい。やはり大学教育ですので、安易な気持ちでできるものではないということは付け加えておきましょう。

通信制大学.com
http://daigaku.ninpou.jp

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May 18, 2018

読書の時間

さて最近読んだ新書の備忘録的感想をば。

「マーティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士」黒﨑 真 著(岩波書店)

自分はJW内部にいた時、上層部と正面から衝突した時の理論的な正当性の数々を当時のアフリカ系アメリカ人の公民権運動の論理に依拠していたんですね。

JW内部の貧弱な論理では、まあ何もするな、考えるな、(良心的に)間違っても上に従えと言っているのと同じなんで。今の児童の性的虐待問題の背景にあるものですね。だから彼らの論理には何も期待せず、採用もせず、まあつかず離れず程度で。行動しないことこそ問題(!)という意識の公民権運動的な論理とぴったり整合したという。

ううう、もうこのレベルで、すでにJWとは全然違う価値観、考え方だったんだなと改めて。今も元JWの方と話すと(あるいは文章を拝読すると)、このギャップは強烈に感じます。同じものを見ていても、見ているところが全く違うような(どっちが良いとかは別にね)。

JW内部にいた時から、違う論理と観点を持っていたのだから、JWを出たらそのレパートリーが増えた、さらに複雑化した、イコールJWの論理がドンドン縮小したというか、隅っこに追いやられた感じでしょうか。

だからJWの論理(これもあるのかないのかレベルなんですが)が観点の中心になることは、どうしても違和感がある。そこまでするだけの内容や価値があるかって感じですかね。

さて、その影響を受けた公民権運動の、その代表とも言えるノーベル平和賞を受賞したキング牧師。今年に出版された本書では、非暴力を市民活動の闘争手段とする経緯と、どのようになされたかが書かれています。有名なローザ・パークスのバスボイコットとか、ワシントン行進とかもですね。ここら辺は映画にもなったし、もっと詳しい文献もありますが。

興味深かったのが、最初から非暴力ではなかったこと、そこに至るまでのアメリカ国内の非暴力主義者たちとの交流とガンジーの影響、また、マルコムXとの関係やストークリー・カーマイケルとの対立の背景(彼の姿は映画「The BLACK POWER ブラック・パワー ~アメリカの光と影~」に出ています、自分は映画館で見ました)など、いろいろ勉強になります。

「ハンナ・ア-レント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者」矢野久美子 著(中央公論新社)

後に政権ナチス党に入党した哲学の巨人ハイデガーの愛人であったり、ユダヤ人としてフランスに亡命してドイツ人扱いで収容所に入れられる。

今度はアメリカに亡命してユダヤ人の虐殺を知りショックを受け、終戦後には「全体主義の起源」を書き、ナチスとユダヤ人虐殺を実行した全体主義へと突き動かした諸要素への理解をしようと試みる。

アイヒマン裁判を傍聴した手記「イェルサレムのアイヒマン」を執筆。このことが原因で、同胞の多くを敵に回し、多くのユダヤ人の友人を失う。本当に劇的な人生でして。

特に、アイヒマンの手記への攻撃はイスラエル政府やユダヤ人団体を中心に執拗に繰り返され、アイヒマンの責任を軽くし、抵抗運動の価値を貶め、ユダヤ人を共犯者に仕立て上げたと断定されたのですね。この結果、親しい長年のユダヤ人の友人のほとんどを失う。その中には、戦中のあの苦しい時期に共に励ましあいナチスを厳しく批判した仲間さえいた。

これに対して哲学者のヤスパースは一貫して彼女を支えるんですね。ヤスパースは「嘘に立てこもって生きている多くの人のいちばん痛いところを衝いた」こと、それがそういった人々の「生きるための嘘」への攻撃ともなることに気がつかないナイーブさ、と表現しています。

これってJW、元JWへの、客観的な批評も似たことだと思います。統治体やJW信者の行動を、深く考察することもなく嬉々として攻撃する人たちに、彼ら自身の責任や、かつての行為とその影響、また類似性を指摘すること、さらに感情をいれず客観的に指導部を評価しようとすることは、全く同じことになりかねない。という意味で、アイヒマンをめぐるアーレントの周辺の出来事は全く無関係とは言い切れない。

要は事態を普遍的な価値観で客観的に見ようとするときに、当事者への個人的、主観的で自己を守ろうとする感覚的な見方への攻撃と受け取られることも十分考えられると。元JWの方とやりとりするとよく起きることでもあって、その辺を第三者的な立場で考えるにも、本書の意味はあるでしょうね。

「プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで 」深井 智朗 著(中央公論新社)

真のキリスト教はなにかと探ろうとして・・・なんてわけはないですね。私は真の宗教、偽りの宗教なんて評価にほとんど興味ありません。どの宗教にも偽りの部分はあるだろうし、真実らしきものもあるだろうし。それをどこまで個人が偏って受け入れるのかが信仰だろうし、またそれが社会としてどこまで許容できるかがカルト問題なんでしょうし。

特にアメリカの右傾向の強い福音主義などの背景も知りたかったんで読んで見たんですが、そもそもルターが宗教改革を志向してなかったことは興味深かったですね。

当時、現在のドイツあたりにあった神聖ローマ帝国がバチカンから搾取されていたという政治的な事情、本書では制度疲労などと書かれていましたが、そのおかげで贖宥状への疑問を表明したルターはフスのように殺されず、保護される。

当時はグーテンベルクの印刷の発明があり、いわゆる今で言うIT革命ですね。彼の贖宥状への疑問を呈した95ヶ条の提題は、(どうも教会のドアに打ち付けられたというのは後代の創作らしい)わずか14日でドイツ全土に広まって、田舎町の修道士の出した疑問が野火のように広がったという、本人はこれだけ広がったことを後悔していたようです。

その後は、ドイツではルター派やスイスではカルバン派となっていくのですが、政治的にはドンドン保守派化していく。それに対して、また改革に対する改革が発生、幼児洗礼を否定する再洗礼派など他の改革勢力が出現。この流れの中にピューリタンなどができ、アメリカに渡って現代まで政治に影響を及ぼすと。

また、それが保守化してと、何か歴史は繰り返されるような。JWは政治的に中立と言いながら、信者に教えることはまさに保守的なファンダメンタリスト(原理主義者)のような主張ですか。このような歴史の変遷の中で、JWはどの位置にいるのか、その歴史的動因はどこらへんかなんて見ながら眺めると、だいぶ突き放した、より客観性を持つことができるでしょうね。

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May 15, 2018

議論に勝とうとすることの罠

一応科学系の出版社なもので、職場に色々な科学系の雑誌が回ってきます。で、パラパラと眺めていると面白い記事があって。

相手を言い負かすための勝つための議論は、その議論をしている当人の見方や考え方まで変えるということが最近の研究でわかったそうで。

理解を深めようという議論は、複雑な議論に色々な可能性を考慮し、幅広い視野でものを見られるようになるのに対し、相手を言い負かすことだけを目的とした議論は単一の答えしかない、極めて視野の狭い思考に陥る可能性があると。

たしかに議論に負けたことのないという人は、そうなる危険が高いでしょうね。インターネットだと相手を言い負かす議論が主流になっていますから、本当はそう行ったところを注意した方が良いだろうし、勝ち負けにこだわらない、理解しようという姿勢はもっと重要視されて良いでしょうね。

The Tribalism of Truth(SCIENTIFIC AMERICAN February 2018)

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May 12, 2018

小さな幸せ

自分が幸せだなと感じる瞬間って、幼い子供を連れた親子を見る時ですね。その幸せそうな姿を見て、自分たちの子供が小さかった時の幸せな気持ちを思い出して、君たちに会えて、本当にありがとう、という感じですかね。

自分は子供が産まれるまで、そんな気持ちになるなんて想像もしてなくて。母になるには生まれながらになれるのでしょうが、父には徐々にそうなっていくのかもしれない。

私が懇意にしている車のディーラーの方がいて、大きくなった息子と店に行くと昔のその息子の話をしてくれて。

息子がおそらく2歳くらい、ディーラーの方がまだ当時は独身で、車の点検で店に行った時に息子が吐いちゃったんですね。それを一生懸命片付けている私の姿を見て、なんて大変なんだろう、とても真似ができない。すごい愛情だと思われたそうです。だけど、いざその方が小さな子の親になると、全く同じことをしていて、そこに大変なんて気持ちなんてない、ってことに気づいたと。

当時はカミさんは平日は子供達の世話で忙しくて、土日は休みたいので、その時はできるだけ幼い子供達と過ごしたのですが、実際、大変なことより(ファミレスの座敷でジュースを畳と座布団にぶちまけたり、二人が行きたい方向が逆でいきなりその方向にいっぺんに走り出して、二人とも行方不明になったり)も楽しかったことばかりです。

当時の写真をカミさんが撮っていて、ススキが生い茂る原っぱで地面を見て一生懸命遊ぶ子供とそれを対面で私が見ている時に風が吹いている瞬間の写真があって、カミさん曰く一番好きな写真だと。

娘も、いつも対面の位置で食事をするんだけど、いつも娘が足でちょっかいを出すのですが、小さな頃から高校になってもずっと。なんかちっちゃな頃から変わらないねえ、って娘が笑ってまして。

幸せなんて、所詮思い込みに過ぎないんだろうけど。それは永遠の命だろうと真理を知っただの、なんでもいいんでしょうが。

でも、それをごくごく小さな日常の中に感じられる、そういった感性とかいうのが、本当は大切なんじゃないかと思うんですが。平凡な中に、小さくとも豊かな幸せを感じられる。その感覚を無理してまで殺してしまうようなことをすると、人生をつまらなくしてしまうような。

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May 09, 2018

そろそろ経済を語ろう

さてこれからは純粋に自分の興味の話。ええ、JWなんて正直にいうと全く興味もないですから。まあ、たまたま自分もいる羽目になった(また家族もまだやってるし)から、少し関心がある程度。関心のレベルは統一協会や創価学会と基本は同じレベルですね。所詮、カルトでしょって感じ、これは最初からあんま変わってなくて。

ただし、やはりその中にいて出てきた方達には関心がある。そして、多くの人と逆で、その信仰とか、教理とか、神とか、聖書とか、組織とか、誰が何をしたとか、そこで受けたなんとかより(出たら関係ない)、その後の現実。お金とか、職業とか、心身の健康とか、人間関係とか、まあそっちがメイン。私のテリトリーですかね。(こうやってみると唯物主義の権化みたいな。そこまでではないんだけど)

特に私が元JWの問題に関わった時が、失われた20年。つまり経済の問題が嫌でも重くのしかかる。結局これがなければ、多くの問題が深刻化しないのに、ここでどうしても引っかかってしまう。前に進めない。私、どなたかに言いましたが、多くの元JW二世の問題は、結局経済問題だと。実際、長期不況期には、まさにそうだったんです。今でも基本はそうです、経済的にきちんとなっていれば、あとの心の問題は解決できる余裕が生まれる。いくらでも手広く対応できる。逆は難しくなる。

そこで必要になったのが、(心理学の次は)経済学の知識、まあ教科書的な基本的なものを読んだり、直接先生方に会って話を聞いたり。もう最近もそういったものを細々ですが押さえてますし、基本ブログは経済学のものばかり読んで。JWのは、内輪ネタと霊的ネタは申し訳ないけどスルーです。いや私にはちょっとついていけてなくて。もっと地に足のついた現実的なものを読ませていたいただいています。

そんなこんなで、またたもさんの本を買った時に一緒に買った書籍を読んでまして、
「そろそろ〈左派〉は経済を語ろう」
なかなか刺激的です。

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私の立ち位置は中道リベラルでイデオロギーとかと距離置くタイプ。リベラルというと、左と思う人多いけど違いますね。左の考えとはまただいぶ異なる。だから本来は左派向けの本はあれですが。(まあ西部邁とかも読んだり、右も左もとりあえず軽く押さえるけど。でも西部先生はさっぱりですが)

さて、この本の中の一人、松尾先生は左でも珍しい、リフレ派。アベノミクスの三本の矢の最初の二つまでは肯定するという、ヨーロッパの左派なら当たり前だが、日本の左派からは異端扱いされる考えの持ち主。私もご本人の対談を、対談相手の方からお誘いで行ったことがあって、すごく刺激を受けました。

この本も、特にイギリス労働党のジェレミー・コービンの公約(保守党の国の借金返済のための政策への反対)やブレグジット(イギリスのEU離脱投票)の背景など、すごく面白くて(後半の日本の解説だかは、あんま面白くない) 。

左派のアベノミクス批判の不毛を鋭くついてますね。彼ら左派が提示する政策は、成長否定の緊縮政策で、貧困をさらにひどくすることを善意で行う愚、民主党政権がやったことが、結局のところ新自由主義的でゴリゴリタカ派の経済政策でしかなかったということ。そしてその反省も全くない現状。それがマクロ経済政策の無理解から来ることを指摘していて、これをどこまで理解するのかでしょうけど。

まあ現状は、私はこの本の主張とは裏腹に悲観的。朝日、毎日、岩波的な左派の反マクロ経済学的な態度が大きく転換するのは、左派ではあと一世代はかかる。失われた20年の世代への真剣な考察も不在の状況では無理。失われた20年の人たちが前面に出るまでは、とてもできる状況にならないだろうと見ています。

あるいは、ヨーロッパで成功例がもう少し出てきて、鳴り物入りで輸入されれば可能性があるけど。安倍政権の方が結局よかったという財界の見方が実は正解というようになってしまうでしょうね。というかなっているし。興味深かかったのが、その状況をハンガリーと似ているという指摘。トランプ支持層とも似ている。あるいはナチス出現時のドイツの状況とも(これを予見したのがかのケインズの「平和の経済的帰結」)、怖い話です。

内容はそこそこ難しいので、その背景を理解するための関連書籍としては、
「経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策」

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「さっさと不況を終わらせろ」

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あたりですかね。前者は経済政策の失敗は人命にも関わること、後者は金融政策、財政政策それぞれの意味とそれがなぜ必要か、そういったことを知る書籍ですね。

今は景気がそこそこ良いので、そこまで考えることもないかもしれませんが、経済が我々に与える影響って、生活でも政治でも大きいってことが改めて確認できる。政治を考える際も、結構重要だったり。まま、ややこしいものですが、そんなことばかり(JW問題のもう一つの側面として)考えていますね。

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出会いと恋愛の話

もう一つは結婚を希望する方の出会いと恋愛の話。

どうしてもJWですと、一般人となかなかコミュニケーションをする機会がなかったりで、どうしていいかってのはありますよね。

ただ、そこでもお話ししたのは、相手の異性側も同じことを感じていること、さらにこの問題は別にJW特有でもないということをお話しさせていただきました。

こればかりは相手があってのことでなかなかこうとは言いがたいのですが、あくまで経験上はそういうことを真剣に考えておられる時が一番確率が高まっておられる時ではないか。実際、そのようなお話をいただいた方は、その後お付き合いされたり結婚されたりされてますから、ということを話させていただきまして。

私などは、意外にそう言った相談を元JWだけでなく、一般の方からも言われたりするので、なんとなくですが、そんな感じはしています。なんというかな、自信と前を向く勇気。後ろをそっと押してくれる言葉などがあるだけで、そういったことにも少しずつ積極的になれるのかなという、まあふわっとした結論になったのですが。

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May 08, 2018

子育ての話

オフ会の話題はいろいろあったんですが、その中から二つ。

一つが子育ての話。たもさんの本でも扱われてましたが、子どもたちを育てるときどうだったか。

まあ私は適当で、親は無くとも子は育つと、鞭もなし、こうすべしというのも何もなしで、自分でやりたいことを見つけたら、心から応援できるので双方すごく楽と。親がなぜあれを教育の指針としたか、いざ子どもを育てる側になると理解ができないのですが。どっちも辛いだけなのに。

ほんとうに、のびのびとちびまる子ちゃんのようですからね。のびのびさせすぎというのもあるかも。

逆に別の方から、JW時代にやれなかったことをさせたいという気持ちが強く押し付けてしまう、なんて意見もありまして。

ただ、JWをやめるという選択は、子育てにはプラスに働いている感じはしましたね。というような感じで。

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霊の話

オフ会前に、今回のオフ会問題で意見を求める方がおられたので、直接会ってお話させていただきました。

そこで、出た話題は霊の話。霊はJWの説明のようなものではないとはわかっても、その存在が全くないといえないのではないか、科学的に説明できないことも多くある、それについてどう思うかと聞かれました。

これについて、まあ私の考えですね、いろいろご説明しまして。とりあえず補足も含めてご参考まで。

私はとりあえずは霊を前提にしません。これを霊の否定と勘違いする人もいますが、否定も肯定もせず、まずそれ以外の可能性の方に着手すべきという考えです。

霊の説明ってそこでもお話しさせていただいたのですが、便利な論理のゴミ箱みたいで、なんでも説明できるんだけど、根本は何も説明していない。でも理解したつもりになれる。これを説明手段として用いれるかというといろいろ問題含みで難しい。

幽霊、霊者、悪魔、天使、神、仏、怨念の残った物、心霊現象、悪霊、ポルターガイスト、文化が違えばグール、精霊、妖精、コビト、妖怪、妖魔とか、まあほんとうにいろいろ。これらは、過去においては我々のわからないことに納得させる方便として有効に機能してきたと思う。聖書に出てくる悪魔とかもそう。前もどこかで述べたけど、ヘブライ語のサタンとギリシャ語のサタンは全然別物(JWのものとも違う)。文化が変わったので、霊者も変わる。それはなぜかといえば方便だからと思います。もちろん、その後のキリスト教の進展で、またどんどん変わっていくのですが。もう変わりすぎておそらく最初の原型さえ留めていない。まあ原型なんて誰もわからない。

で、これらは方便だから多分いろんなことを説明はできる、でも根本的な問題を抱えていて、それらそのものを客観的に検証することができないし、本気でするとかなり怪しい、色々な矛盾も抱えている。

例えば、霊同士の会話の文章など読むと、私から見るとありえない。彼らがなぜ我々に理解できる会話をするのか、例えば新しい職種の職場に転職して、その仕事場で会話を聞いたら、ほとんど理解が不能なはず。また外国人同士の会話も言葉は分かっても文化圏が違うので理解がなかなか難しい。それを我々と全く違う環境にいると類推される霊者がいきなり自分たちが全部理解できる内容と語彙や概念、考え方をする。そんなことはありえない。

でも科学で説明できないことがたくさんあるということは?それは正しい。でも科学的に解明されていないことは山ほどある。それを一足飛びに霊の説明までいくのは飛躍のしすぎ。近年わかったことも多いし、まだまだわかっていない未知なることも多い。霊の説明の厄介なところは、それらを無理やり説明できちゃうことで、なんでも説明できる説明は、むしろその後の理論的な追求の邪魔になる。説明が万能なことは、結局なんの説明にもなっていないことと同義。

我々の意識も記憶も、さらに知覚も含めて、まだまだ未知のフロンティアです。近年では、それらは思われているほど安定しているわけでも、客観的なわけでもないことが分かっています。霊を見たつもりになったり、霊を見た記憶を共同で作り出す可能性すらあると考えられている。まだ霊の説明を出す段階ですらないというのが、一応私の意見。

これは私の意見で、いや絶対に霊の存在は確実、という人の意見を否定するものではない、もちろん賛成もしませんが。

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May 07, 2018

大山鳴動して悪魔一匹

結局、あれだけオフ会で大騒ぎした方のご発言によると、オフ会批判で暴れたのは、メフィストフェレスとかいう悪魔にドライブされてやったことらしいです。

以下引用
---
まずはこいつらを油断させる事だ。油断した人間はゆっくりと心の防壁を開いていく。そこに俺の悪を刷り込んでいく。少しずつ、少しずつな……。それからあいつらの弱点を叩く。俺は作戦成功までのビジョンが見えた事に満足した。後は実行すれば良いだけだ。俺の作戦は成功する。俺は失敗しない男。メフィストフェレス様だからな。

懲罰期間が終了してから、数日が経過した頃、シンとのりぽの警戒が少しずつ解けていった。もう悪魔は来ないから、少し休もうなどと二人で話し始めた。俺は心の防壁が開いたその隙間に悪を注入していった。シンはのりぽよりも、悪よりの傾向がある。少しの悪の注入で、シンは思考が悪魔的になっていった。
 案の定、俺の思った通りの行動を取り始めた。脅しに近いようなメッセージをオフ会主催者に送り、相手を退会に追い込んだ。批判的な記事を書く奴には、個別に警告のメッセージも送っている。さらに煮ても焼いても食えないような小物を、いたぶりたい衝動に駆られてもいた。さすがにそれは思いとどまったようだが、このまま俺が悪を注入していけば、じきに悪に傾倒し、神から遠く離れて行く事は明白であった。俺の作戦はここまでは順調だった。そうこいつが来るまでは
---
(引用終了)

まあ、悪魔の独白の体みたいで、意味は毎度よくわからないが、メフィストフェレス?にさせられたということなのかな。

だから、またそれを蒸し返されたら、悪魔がさせているのだな、とそっとしてあげましょう。本気で相手にしてはダメでしょうね。何せ当人には罪(の意識?)がなく、悪魔にやらさせられているだけですからね(あくまで本人申告だが)。我々の対応できる範疇を超えている。

ってことは悪魔に踊らされていただけなのか?意外に図星かも。

But what's puzzling you
Is the nature of my game
でも、あなたたちを困らせることが、私の冗談の特徴でね

・・・

I shouted out,
“Who killed the Kennedys?”
When after all
It was you and me
「誰がケネディ兄弟を殺したのか!」と叫んだのですが・・・
結局それは“あなた”と私だったのですよ

The Rolling Stones
“Sympathy for the Devil”

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オフ会主催者、相談者の男女問題

オフ会主催者、あるいは元Jに対して相談を受ける人との男女問題は気をつけないと発生する問題です。

私も事実はどうかも知らないし、知りたくもないですので、あれですが、耳にすることはあります。

例えば、既婚の男性が女性(既婚独身問わず)一人に個人的に会いたいなどということをすると問題が発生することが多い。

私も女性からご相談を受ける時がありますが、誤解を含め、さまざまな問題が起きることを予想して、必ず相手の方と自分自身双方を守るための防御をします。別にJの基準に合わせるわけではなく、一般のカウンセラーの倫理規定などを参考にさせていただいています。

一つの方法は、第三者の安心できる女性に絡んでもらう。幸い私のカミさんは元Jで理解があるので、可能なら同席もしてくれますし、簡単な内容なら代わりに会ってもらうこともある。あるいは別の方にご協力を依頼することもあります。

もう一つどうしても一対一で会いたいといわれることもあります。その場合は昼間の時間、できるだけ多くの人の目のある場所で話を聞きます。その場合もカミさんに事前にそういう相談を受ける旨伝えておきますし、可能なら自宅でカミさんが家のどこかにいる状態でお願いします。とにかく二人きりの状態では対応しない。

相談後は相手から連絡がある以外は、こちらから個人的な連絡を一切しません。またその点もご了承いただきます。それも誤解の元になるからです。やってオフ会の告知をお願いされた場合、その告知くらいです。

相談の内容も基本は、あまり立ち入らないようにします。こちらから興味本位で聞くことはしません。あくまでも礼儀正しく距離を置きながらが基本で、自分のために利用すること、また利用されること双方ができない距離を保ちます。

親切に対応すると、こちらにその気はなくても相手が好意を持つこともありますから、その点はそうなることもあると理解して、適切に身を処す。その好意を利用するなどもってのほかです。そもそも自分のために利用しようという人は、こういったことをすべきではないとさえ思います。

相談相手も、そういったきちんとした倫理観がある相手かは非常に重要になりますので、上記の対応をしているかは参考になります。と同時に主催者や相談者も道義的な倫理とコンプライアンスを守るために自分は何をしたら良いか、不足はなかったか、相手を利用する行動(誤解を含め)はないのか、今一度考えていただければと思います。

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May 06, 2018

町田オフ会ありがとうございました!

町田オフ会ありがとうございました!
おかげさまで皆さまと楽しいひと時を過ごすことができました。
また、参加出来なかった方も機会がありましたら、よろしくお願いいたします!

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May 03, 2018

「カルト宗教信じてました」本日到着!

先ほど届いてあっという間に読みました。(見たら今年アマゾンで頼んだ書籍のちょうど50冊目)

特に親目線で書かれているところは、考えさせられます。私自身はやめた後に結婚して、子供ができたので、あまりそういうことはなかったのですが、現役で子供の輸血など本当に大変だったんだろうなと感じます。

性的虐待の話とか、現在問題になっている点も網羅してあり、現役の方も恐々見てもらえれば良いですね。

あと、いいなと思ったのが、フラットな目線。背伸びしない等身大の感覚は良いですね。こういうのは逆に珍しいと思う。好感を持てます。

発売と同時に重版とは、出版社の視点から見ると凄いことです(私の企画・編集でも50冊くらいやって二冊程度)。

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お互いを信頼するために我々がすべき事柄

先に書いたように今回の件は、相互不信と疑心暗鬼が拡大して起きた事柄です。もちろんその不信の火種を放った方はいますが、その火を燃え広がる前に消せなかった、逆に油を注ぐこともありました。

それは、まだ信頼のための土台が脆弱だからと考えています。

そんなことを考えて、ちょっとインターネットを調べると面白い記事が。

信頼関係を築く・構築するには?コツを臨床心理士が解説①

なかなか示唆的なことを言っています。

「信頼関係が築けない原因には「信頼に根拠を求める」「信頼される振る舞い方ができていない」「裏切られることを恐れる」の3つが大きく関わっている」

今回のこともそうでしたね。当該の方はそれ以前のレベルの問題があるので仕方ないにせよ、疑心暗鬼ゆえ上記の状態になったのかもしれません。

それをどうするか?

ここでは根拠を求めず信頼すること、信頼ある行動(相手との共通性や自己開示)、一度は信じることをあげています。

今回はあまりに信頼するための根拠、根拠で、信頼のベースを見ていなかったような気もします。もちろん根拠は重要ですが、疑わしい根拠は重要視する必要はないと考えます。それを根拠に相手を疑うことで相互不信が加速したように思えます。

相手を信頼するのには根拠を求めない、相手を疑う時はきちんとした根拠を持つ。この二点は多分重要ですね。また、そうでない疑い先行の方の意見は上記と照らしてすぐに採用しない。慎重に見る。これは相互不信を防ぐための、あるいは信頼関係を毀損しないためのマナーのようなものです。特に長期に活動されておられら方は、ご自身の信頼を毀損しないためにもお考えいただきたいと思います。

信頼関係の土台は、まず我々が信頼することからスタートするという点は知っておくべきでしょうし、それは自分にもプラスになると考えています。むしろ自分を守ろうとするためのガチガチの不信と疑いの表明は、回り回って自分への疑いにも繋がるからです。JW時代の疑いや信頼性の毀損もあるかもしれないし、身バレのための警戒心もあると思います。それでも信頼性を毀損する情報を、積極的に発信することは避けたいものです。

信頼関係を築くための知識

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オフ会騒動から得られた教訓的な諸々

今回のオフ会騒動について、多くの方が傷つき、退会されたり、疑われたりしたことは、本来ならあってはならないことと考えております。

加害者も被害者も全て良くない結果になり、何一つ良かったことなどない。全てが被害なのです。誰も得をしていない。こんな、非建設的でバカらしいことはありません。

その前提で、どのようにしたら防ぎ得たのか、教訓のようなものをみなさまと考えながら、今後同様なことが起きた場合の対応策のヒントとしていただければと思います。

今回は、いわば不信のタネがまかれたことによる疑心暗鬼の怪物に、多くの方々が貪り食われたような出来事と考えています。翻って考えると、そこまでの信頼の構築や熟成が十分になされていなかった結果と考えます。あるいは信頼関係が稚拙であった。私も長年やっている者として猛省すべきと考えています。そのため、オフ会主催者の方々に、無用なリスクを負わせ、心痛を与えるような状態になんら有効な手段を講じ得なかった。

逆に言えば、これから同様のことが起きた時の指針を導き出すチャンスと捉えることもできる。その機会を生かすも殺すも我々次第ということです。いくつか指針となる事柄を今回の事例をベースに述べます。

①問題の捕捉を早くする

火が起きた時でも、小さければ鎮火も早く、火事にならなくてすみます。できるだけ小さな段階で対応することが今回も望ましかったと考えられます。

今回、問題を起こされた方はかつてもされており、退会まで追い込むことをされていた。私もかなり早い段階でそのことは掴んでいたのですが、迂闊でした。

我々はどうしても良い人と見られたいので、誰かにレッテルを貼って区別することを避けます。また公平であろうとするので、そのような人も正しいことと同列に置く。でも、争いを起こそうとする人はそこをうまく利用します。

もちろんそういった人々も別の意味では被害者の可能性はありますが、それを理由に問題を起こすことに対応することを躊躇してしまうと消すことが難しいほど燃え広がります。

そのような人を見極めるのは難しいのですが、いくつか方法はあります。

・過去の言動
過去においてさまざまな問題を起こしていた人は今回も問題を起こす蓋然性が高い

・人格攻撃
売り言葉に買い言葉的なものではなく、議論と関係ない人格攻撃を執拗にする場合、危険度が高い

②一人で抱え込まない

さらに問題を感じた場合、やはり一人で抱え込まない。ご相談もあったのですが、かなり遅い段階で、それまで抱え込まれていたのは残念です。

私自身も自分では抱え込まないようにしています。必要であれば、JW関係ということは言わないで、専門の方に相談します。その方がはるかに客観的なアドバイスになるからです。今回は自身の経験の範疇だったのですが、それをうまく伝えられなかった。

③アンフェアな交渉をしない

今回、これは本当に残念でした。この交渉をしようという努力が、さらに問題を大きくしてしまったのでしたから。私も早めに止めるべきだった。

最初の問題の捕捉が十分にできていない状態もそのことを安易にする背景としてあるでしょう。

相手にしかメリットのない、向こうは何の責任も行動する必要もないのに、こちらは、ただ防戦と釈明と弁解しかできないような条件での交渉など絶対受けてはいけない、ということを伝えきれなかった。

またそれを無思慮に勧める人もいました。このことが、本来なら小さな問題で済むところを大きく傷つけてしまった。

今回の最大の教訓はトラブルを起こす目的の人と理由はなんであろうと交渉はすべきでないということです。交渉の仲介ももってのほかと思います。たとえ良い動機でも。

④相手に納得してもらう必要はない

問題を起こす人を含め、全員を納得させることは現実的ではありません。

やるべき常識的な対応をしたなら、あとは静観することも必要。納得するまで何かをすべきと考えるべきでない。その静観の期間も1ヶ月から長いと半年かかる場合もあります。

虚偽の内容を吹聴する行為をやめる気がない人にいくら言ってもやめませんし、それを信じたい人は信じます。これらは如何ともしがたい。そこに全て対応することはないのです。

その時に必要なのは遮断や無視。これは当然の権利で、自身を守るために行使すべきなのです。

⑤感情のコントロール

難しいのですが、今後の課題と思います。相手は感情を傷つけることを目的として行動します。なので当然傷つきます。

そこで、その感情をどのようにすべきか。一つは正面から受けないということ。相手が仕事のクレーマーならビジネスライクに対応する、少しそれと似た感覚。少しかわすというか、そらすこと。

読まないことや取り入れないことも有効です。あるいは、十分に落ち着いてから、改めて斜め読みする程度。

また相手が人格攻撃で感情を傷つけようとしても、こちらはそのような目的の反応をしないこと。冷静に、また相手が話の通じないことを前提に客観的な視点で淡々と反応することが望ましいかもしれません。もちろんこれはなかなか難しいのですが。

あとユーモアも有効です。深刻な事態ほど少し笑いを混ぜてみる。よくよく見ればコメディかもしれない。下手な夫婦漫才とか。そのようにして、あまり深刻に受け取らない。

もちろん、それらでも自分の感情が守りきれない場合はすぐに避難されること。助けを求めることは大切です。

今後はオフ会主催者が、もっと安心して発言できる環境を模索したいと思います。また、オフ会に関係ない方にも、相互信頼の架け橋となるような情報発信をできないかと改めて考えています。そのために、(誰かを批難攻撃するのではなく)壊れた信頼関係を少しでも元にすべく知恵をお互いに出し合えたらと思っています。

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May 02, 2018

噂(Rumors)

フリートウッド・マックってバンドがありまして、初期とその後が全く違うということで有名。

初期はものすごくブルース色が強く、ピーター・グリーンというギタリストがそれを前面に出していて。

サンタナのカバーしたブラックマジックウーマンとか有名で、それを収録したアルバム「英吉利の薔薇」ブリティッシュブルースロックの名盤ですね。私は大好き。

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その後、ピーター・グリーンが薬がらみで脱退せざるを得なくなって、バンドの方向性が大転換、日和ったポップバンドになって、私の興味もその頃のものにはない。

そのおしゃれなポップバンドに変貌したバンドの最盛期に出した「噂(Rumours)」が世界的に大ヒット。このアルバムのタイトルは当時のメンバーの人間関係のこととメンバーは語っていまして。ちょうど、メンバー五人はそれぞれ離婚やカップル解消をして、それなのに一緒のバンドにいるという非常に険悪な中でのレコーディング。レコーディングにしか逃れ場がなかったと言います。それが大ヒットですから自分たちのトラブルをビジネスにしたともいえます。

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まあ、先に行ったように、私は「噂」なんてそれまでのブルースロックバンドのようには、興味ないです。そしてネット上の根拠のない噂も(また変な長ったらしい前置き!)。

ネット上の噂を、まるで見てきたかのように真実のように話す人がいますね。全く面識がないのに、噂だけで人を断定すること、しかも面識のある者よりすごく詳しい。なぜあなたがそこまで知ってるの?まあ、ネットのみのやりとりで、リアルを語ることの限界を肝に命じて欲しいと思いますが。それは噂でしょうに、本当はその人にはわからない。

私も色々な噂は聞きますし、蓋然性の高いようなこともあります。でも、噂段階で断定は絶対にしない、してはいけないと思いますね。だってわからない。わからないことには首を突っ込まない、当たり前ですが。警戒するのは構わん、でもそれで決めつけるのはあかん。

ゴンさんの言われるように、芥川龍之介の「藪の中」ではないですが、その事実の解釈も、当事者であっても人によって異なる。第三者が受け取った情報は、その一方だけの情報かもしれないし、さらにどこかのフィルターのかかった、バイアス(偏り)のある情報にすぎないかもしれない。噂の怖いところです。

それで、バイアスのかかった情報が相互参照で偏りが増幅すれば、その噂の偏りがいかにも真実になる。私は発言を見る際、どこまでリアルを把握しているか、それとも噂ベースなのかを見て、その人の信用性を測ります。しかし、多くの方は断定的な口調と真実らしい自信ある姿勢と分量と熱量で、つまり雰囲気で、簡単に真実だと思う傾向があるように思います。

むしろ、逆です。自信ある情報の方が警戒した方が良い。噂だけの断定的な口調は5分5分程度で見ておかないと、自分も噂を反響する役割を果たしかねない。あるいは自分が噂を発するスピーカーになりかねない。特に人気のある方は注意が必要です。

自信のない、異なった可能性をも認めるような発言は読みづらいし、また真実性が薄いように捉えられる。あるいは、当事者の奥歯に物の挟まったような言い方、言いたいことも諸事情で言えないこともある。でも、その方が真実に対して誠実。

まあJW時代にも姉妹たちは噂が大好きでしたし、トラブルが起きると長老たちは噂に基づいて処断してたものです。いつもそれを見ておかしなものだと思っていましたが、やはり現在も噂を元に行動することは、JWと共通とかそういう意味ではなく、一般的に言ってもおかしなものと思いますね。

噂に対して、すぐにエモーショナルな言動をすることは、時に大きな問題を招きます。そこに人を信じるとか友情とか、感情論を混ぜて語る御仁もいますが、それは違う。噂はあくまで噂、信頼できる情報かどうか、いったん感情を抑えて冷静に見ることの方が重要だと思います。そうでないと信頼も友情も傷つく可能性がある。それをしても大丈夫な人としか、信頼と友情が育めないというのは、他者に厳しく自分に甘い態度だと私は感じています。

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May 01, 2018

トラブル列伝⑨トラブルから学べた事柄(終劇)

何とか、一桁で終わらせそう。最後に私のトラブルから学んだことを少し。

①トラブルはどこでも起こり得る
まあ、本当によく起きます。その多くは非常につまらない、どうでもいいことに執着して起きる。そんなものです。

②裏アカウントや色々なアカウント、異なるハンドルネームを使う人
基本要注意。自己抑制ができていない、あるいはできない可能性が高い。
また自分でしようとすると、まあ大抵さらに手痛いしっぺ返しをくらいます。

③裏でやり取りするサイトなど
問題が起きると同時に責任がはっきりしなくなる。また疑心暗鬼も起きかねない。よほどの理由がない限りされない方が良いし、やっていても関係なければ近寄らない。

裏で情報を流したり、入手しようとしたりすると大抵疑心暗鬼と不信感が芽生えます。良かれと思ってやられても良かったことなどなかったですね。必要なら本人へ確認。関係なければノータッチが安全です。

本人ができないから代理で、という人は信用できる人かどうかですね(そもそも代理を立てるレベルの話ってあまりない)。自分の結論ありきの主張のために、それを利用する人は信用できないでしょう。

④基本はルールベース
掲示板などは自分でルールが作れますが、SNSなどはその運営会社のルールですよね。でもトラブル回避のためによくできている。

アメブロなら、そのルールはよく読んで把握しておきましょう。ルール違反は運営会社に通報してお任せ。自分たちではやらなくて良い。またルールを超えたところは、やり取りが不能の場合、とりあえず放置。ある程度はルール内なら許容する。

⑤病的なトラブルメーカーにあった場合
基本は毅然として、相手の不当な要求を一切受け付けない。不当な要求を受ける必要はありません。

また言いたい奴には言わせておくという鷹揚な 姿勢も重要。相手にされなくなると徐々に沈静化します。でも半年ちょいくらいかかるかもしれない。それまで波状のように繰り返すと思います。終わってもまたチクチクと。まあ病的だから仕方ない。だからこそトラブルメーカーなんで。そこまで我慢できるか、辛抱強さと自制心が鍵。根比べと思ってください。

まあ、長い間やってるとトラブルなんて周期的にあるもの。初めて遭うと、もう嫌になったり感情的になるのもわかります。でも私が思うのは9割のトラブルって、もう思い込みというか、勘違いというか、どうでもいいことで。それをそんなに深刻に捉えても仕方ないって考え。当事者同士で解決できれば他者は口を挟む余地もないし、なら最初から挟まなければ良い。それが知恵ですね。

知恵のない者は自ら争いを起こして、そこに転がり込む。そこに変に巻き込まれることは、賢明じゃないのではないでしょうかね。

また、リアルの生活の方を充実させておく。よく私がいうJWのことなんて左手で行えば十分ということですね。そこまでJWとかを自分の生活や思いの中心にしてなければダメージも少ない。そのダメージも嫌ならリアルの方にいけますし。やり過ぎないということも大切ですかね。

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トラブル列伝⑧情けな幹事の頭の中

あれ?もっとオフ会関係のトラブルは?

そうですね、なぜか私が主催したものでは、ほぼ皆無。把握している限りではないですね。

なぜか?これは、まあ主催者があまりに情けないのでみなさんが、これはいかん!と色々と気を使ってくださるからなのかもしれません。会計もきちんとできず、皆さんで計算していただいたり。参加者の数も怪しかったり。まあ、こんな幹事いらないのではと思うことも。

だから他のオフ会、昼ブタもそうですし、名古屋オフ会とか、埼玉オフ会とか、横浜オフ会とか、皆さんトラブルばかり見るけど(トラブルというほどのものか?)、私はトラブルなんて興味なくて、その運営を見て、思うんです。

皆さん、素晴らしい!とても真似できない・・・。

いえいえ、爪の垢を煎じて飲ませなくちゃいけない(自分)。本当にいつも勉強させていただいています。

こういった情けない幹事ですが、ありがたいことに、温かいリクエストもいただけまして、何とかさせていただいているという次第です。半分は参加者の優しさに支えられている、バファリンみたいな感じです。

さてさて、そもそも論ですが、私のオフ会に対する考えは、限りなくゼロに近い。直接会ってみんなで話せりゃ何でもオッケー、自宅でも、飲み屋でも、茶店でも、公園でも。私のやれてるので十分だから、それ以上のものはすごい!と思う。そのレベル。

だからオフ会をしてくださいと言われると、すぐに「幹事をされては?」と逆に勧める。私にできたんだから大丈夫と。それで騙されてというか、幹事をされた方もおられます。いえいえ、皆さん幹事の素質はおありになる。そしてそれは百人百様で良い。肩肘はるようなことことですらない。

だから、オフ会はこうすべしという人と百八十度逆ですね。まあ余計なお世話というか、じゃあ自分でやればいいじゃない程度。もちろんオフ会など不要という意見もオッケー。そういう人がいてもいいじゃないですか。集会や大会とも比較して考えたこともない。似てるという人いるけど、どこが似てるか意味不明。

また、私はオフ会とネット上のやり取りやメールのやり取りを分離します。これは、私の特殊な事情ゆえなのですが、要は個人情報や相談内容を下手にオープンな場所で明らかにしないため。

私は相談内容を外に漏らさないために何をすべきか、考えた方法は、その内容の記録を残さず、忘れるということです。そして、よそでは一切言及しない。基本は触れない。

そのため、お会いすると、そのことを聞かれて忘れていると話すこともよくあります。一つは下手に覚えていて、たくさんの方のいる前で話すとまずい可能性を考慮して、そうなることも多い。あと申し訳ないけど、本当に忘れている。

忘れているから、メールのやり取りと他の一般的な発言と区別できないこともあり得る。そのため、ネット上の他の方の発言もあまり詳しく話さない。これは、言わなければトラブルにならないという経験上の知恵です。また私が喋るために行くわけではなく、皆さんが喋るために来ていただくのですから、それで十分なはず。そういった考えですね。

また、オフ会の男女間のトラブルや同性間の恋愛など、基本は対応しません。恋愛は自由だし、仮に不倫でも理由がよくわからないですし(すでに家庭内離婚とか色々)。もちろんセクハラとか、そこでなされることは絶対許しませんが。

ただ、こちらがそのような信頼を失いかねないことは注意します。適切な距離、男女関係ない敬意と節度、また全ての方に平等に接する。いわゆる社会で常識的に振る舞うというだけなのですが。

また、悪口や不満を持つ方のオフ会参加は、妨害されない限り、特に規制していません。誰が何を言うか、基本は自由だし、自分に不利なことを言うからダメとか、それもないですね。そもそも、私は誰が何を言ったか、全部把握しきれていない。なおかつ、ネット上の発言は、オフ会でこちらからは取り上げることもない。なので問題にしないし、なったこともないですね。まあ、これらは私のところの考えだけですが、トラブルを防ぐ参考まで。

今回のことは、みなさんナーバスになりすぎて、疑心暗鬼になられたから。やはり長い間で作られた信頼を、あまりに簡単に考えすぎ。それは、どこかでも書いたように、脳内と文字だけで構築された(事実を無視した)仮想現実と同列に置くべきでない。

オフ会はいろんな形があり得るし、その中でそれぞれが、それぞれの考えでリアルに責任を負っている。そして、結局、その相互の信頼関係で成り立つ。

信頼は築くのに時間がかかるが壊すのは一瞬。使い古された言葉です。そして、あれだけの規模まで拡大したということそのものが、それだけ幹事の方達が、影で信頼を築く地道で不断の努力を長年(彼らは言いませんが)されたから、その結果。私にはよーくわかります。見ている人は見ている。

その今まで築かれた信頼を壊すのではなく、相互に育んでいけるように、私は協力したいと思っていますが。それを壊すことしか実質しない状態や者がいれば、防波堤になるようなことをさせていただくことは、やぶさかではありませんね。同時に改善についても、感情的でない理性ある忌憚ない意見交換が関係者内部でできる。そうなればよろしい。

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